36回目の12月30日vol.4

History 10 運命の日
1987年春、私達3人はそれぞれ新しい環境の中にいた。高校を卒業したMoochinは地元の建築会社に就職し、MANZOは定時制高校を卒業後、居酒屋で働いていた。私の方はというと理美容学校卒業後、宇都宮市から離れた県内の理容店に住み込み修行の身となった。

理容業界が衰退した一因でもある住み込み修行など江戸時代じゃあるまいし、まさに時代による悪しき習慣である。しかし当時、信じられないかもしれないが理容師になるにはこの住み込み修行が当然であった。寝食は保証されてるが朝早くから夜遅くまで働いて小遣い程度の給料(当時4万円)部屋は兄弟子数名との同部屋でいわゆる「タコ部屋」
今の時代ではこんな制度など人権やら尊厳やらコンプライアンス等々様々な人の権利などを考えると現代では絶対に通用する訳もなく、選択肢が多い今では誰もそんな環境に入ろうとはしないだろう。現にこの制度によって理容師になる人が少なくなり理容師よりも美容師という流れになり更には「1000円カット」などという新しい波の猛威もあり理容業界の衰退をもたらした。当然の事だと思う。現在理容業界ではこの住み込み修行が廃止されたと聞いて心底安心したものである。

話が逸れたが、3人のこのような生活環境もあって3人が集まれる機会も以前より激減した。私も休日が平日だった事もありバンドとして集まれるのも月に数回程度の頻度だった。
その年の秋頃、そんな状況の中でも私達は密かな計画を練っていた。それは次の1988年のお正月に宇都宮市の繁華街でゲリラライブを敢行するという計画だった。これは発案が誰というわけではなくある日3人で冗談で言った事が次第と現実に向け計画が具体化したものだった。
宇都宮市の繁華街中心部には「オリオン通り」というアーケード通りがあってそこに機材を積んだトラックで乗り付け突如演奏を始める、という計画である。もちろん警察等への許可など取らず実行しようとしていたので本当のゲリラライブである。

12月に入り計画の準備が次第に整ってきた。あとはトラックをチャーター出来れば準備完了の段階まで来ていた。

年末に入った29日の夜、
Moochinからトラックが確保出来たとの連絡が入った。2人で喜びを分かち合いつつ興奮する気持ちを抑えながら具体的な段取り決めの話となった。電話の最後にその段取りの確認を明日改めてしたいという旨を私はMoochinに伝え、翌日30日の20時30分に私から電話をするという「約束」を交わしてその日の電話を終わらせた。

翌日12月30日
その日Moochinは昼間、彼女とデートを楽しんでいたようだった。きっと彼の愛車である黒のフェアレディZでドライブでもしていたのだろう。1日デートを楽しんで辺りもすっかり暗くなりMoochinは彼女を自宅まで送ってあげ帰ろうとしたところ、彼女は1日運転してたMoochinを気遣い少し休んでから帰った方が良いと促したようだった。
しかし「約束があるんだ」と言って
慌てるように彼女宅を後にした。
そう、その「約束」とは前述した
20時30分の私からの電話である。
当時は携帯電話などあるわけもなく電話と言えば固定電話が当然の時代である。私は約束の時間に電話をしたが彼は自宅に帰宅していなかった。その時私はMoochinが帰宅していなかった事にさほど気にならなかったが翌日の夜にとんでもない事実を突きつけられる事となる。

私との「約束」を守るかの如く慌てるように彼女宅を後にしたMoochinだったが翌日12月31日の早朝、変わり果てた姿で発見された。

原因不明の自爆事故。

Moochinの黒のフェアレディZは彼女宅からの帰り道、道路を外れほぼ正面から歩道橋の柱に衝突してた状態だったという。
警察も検分を行ったが事故現場周辺は直線で見通しも良いが故「スピードの出し過ぎによってハンドル操作を誤ったか」または「猫でも飛び出してハンドルを切り損ねたのでは」といったなんとも適当に済まされた感満載の納得し難い見解だった。

警察の調査の結果

事故の推定時間は20時30分頃。

私との「約束」の時間である。
車の色が黒だったという事もあり事故現場も街灯が乏しい場所なので、朝まで誰にも発見されなかった。現場付近には車の衝突音ぐらい聞こえてもおかしくない場所に民家があるにも関わらず朝まで誰にも発見されずに12月の寒い夜、グシャグシャの車の中でMoochinは突然この世から去ってしまった。
私との「約束」を果たすための行動の中で起きた取り返しがつかない惨劇。私は後悔しても仕切れない程の重たい十字架を背負う事になった。

History 11 別れ
12月31日
Moochinの訃報は瞬く間に仲間内に広がった。Moochinのご両親は私の両親にすぐに連絡をくれ私の父が私が住み込み修行をしている店に電話を入れた。ところがである。そこの店主は31日のお店の営業が終わるまで私にMoochinの訃報を伝えてくれなかった。大晦日といえば当時の理容店はどの店も目がまわるほどの忙しさ故というのが理由だったと思う。しかしこの件について理由はどうあれ今でも非常に悔しい思いでいっぱいである事は確かである。

お店の営業終了後、店主から実家に電話するようにと言われ何の疑念もなく電話をかけたら電話に出た母親が泣いていた。ずっと泣いていて会話が出来ない状態だった。
「どうしたんだよ!」
「何かあったの!」
何度聞いても泣いていた。そしてやっと母は言葉を絞り出すかのように

「村上君が死んじゃった…」

その瞬間まさしく絶句だった。一瞬時間が止まったかのように呆然としてしまい言葉を失った。いや正確には言葉を発する事が出来なかった。

「何で?」「何で?」
とにかくこの言葉で頭の中がいっぱいになった。齢18歳にして経験した事が無い受け入れ難い最大のショックと深い絶望感。私にはまるで世界の終焉とさえ感じた。
泣きながらも必死に事故の事を説明する母親の言葉を遮るように
「今からMoochin宅に行く!」
と言って電話を切り急いで車を走らせた。Moochin宅に向かう車中ではずっと運転しながら泣き叫んでいた。Moochin宅に到着すると家の外にMANZOをはじめ私の両親、いつもの遊び仲間達が居た。皆、私の到着を待っていてくれてたのだ。

Moochin宅ではお通夜が執り行われていた。MANZOに連れられ中に入り棺に入ったMoochinと対面した。
「何寝てるんだよ!ライブどうするんだよ!」
大声を上げて取り乱した私をMANZOが羽交締めにした。その瞬間、少し冷静になり周りを見渡すと
Moochinの家族、そして前日の夜まで一緒にいた彼女も泣いていた。
冷静になれない私を見てMANZOもさすがにマズいと思ったのか私を羽交締めにしたまま外に連れ出した。外に出てからというものその後の記憶が全く途絶えている。
全く記憶が無いのだ…

翌日、年も明けたお正月。私は数日間の休みがもらえた。その数日間は寂しさを分かち合うかのように、いやお互いに1人でいたら気が狂いそうな状況だった事もあり毎日MANZOと一緒に行動していた。事故で廃車になったMoochinの愛車フェアレディZが一時保管されてる車の修理屋さんに訪れ、血だらけの運転席を見て号泣しては事故現場近くの民家に情報を求めて訪問したり、更にはMoochinの彼女宅に訪問したりしていた。
彼女宅に訪問した際、この時初めて亡くなった日の夜の一連の事を詳しく聞いて私との「約束」を果たすためという事実を知って私はその場で腹を切りたいぐらいの気持ちになった。同時にとんでもない大罪を犯してしまったという上手く言葉に言い表せないくらいの取り返しのつかない罪悪感を感じていた。私はまるで重大事件を犯してしまった犯人にでもなったような心境だった。

電話の約束さえしなければ…


Moochinが亡くなって今日で36年。
バンドのメンバーを亡くしたというより私並びにMANZOには大の親友を亡くした思いは36年経った今も全く変わらない。
彼が亡くなってから私は毎年12月30日の命日にはお墓参りしているが、MANZOはMoochinが亡くなった1987年から2016年までの約29年間、頑なにお墓参りを拒んでいた。彼はお墓に行ってしまうとあらためてMoochinの死を受け入れてしまう自分が怖かったのか、またはあの12月30日を思い出すのが辛かったのかお墓の近くや事故現場周辺を車で通る事さえも拒んでいた。
それに対して私はMANZOの気持ちも充分理解出来たし、事実を受け入れまいとずっと抵抗している気持ちが何ともMANZOらしいと思い何も言わなかった。

2017年 Moochinが亡くなって30年経つ命日に初めて私からMANZOにお墓参りに誘った。
Moochinが亡くなって30年。初めて2人揃ってお墓参りをした。お墓を前に立ったMANZOは膝から崩れ落ち子供のように大きな声で暫く泣いていた。MANZOにとっては約30年、ずっと気を張り詰めて我慢してきた事が開放された瞬間だった。それ以来、毎年命日にはMANZOとお墓参りをしている、いやMoochinに会いに行っている。

今日36回目の12月30日
今私は横浜から宇都宮市に向かっている。今年もこの後MANZOと一緒にMoochinに会いに行く。
今年はMANZO以外にも10代の時「溜まり場」に居た当時の遊び仲間数名も来てくれる事となって賑やかなお墓参りになりそうである。
Moochinも喜ぶ事であろう。
とはいえ何年、何十年と時間が経過しようが私との「約束」を守るための行動の最中に起こった受け入れ難い惨劇はこの先、私は死ぬまで後悔するだろうし、あの世でMoochinと再会出来るまで現世では後悔しても仕切れないという重い十字架を背負っていかなくてはならない事は痛い程自覚している…


Moochin、約束を守ろうとしてくれて本当にありがとう。そして無理させてしまってごめんね。痛かったでしょ。寒かったでしょ。そっちの世界で待っててね。
そっちの世界でも必ず会おうね…


次回はその後Moochin不在となった
VULGARITY KIDS!について書こうと思う。


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