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見て見ぬふり

引っ越しをしてきて最初の年はできたけど、そこから約10何できなかってことがある。

使わなくなってしまった畑の草刈りだ。

初年度は野菜も作ったり、耕すこともしていたが翌年から忙しさにかまけて放置したままになっていた。

2年目、とりあえず一回やっておけばいいか。
3年目、ちょっと忙しいし、あとでやろう。
以後、やらないまま。

草丈がどんどん大きくなってきて少し焦るが、もう畑も出来ないから使わないし、ちょっも放置するかという、もっともらしい都合の良い言い訳を自分にしてやらないでいた。
毎年冬になると寒さで枯れていたのだが、近年は冬も暖かいせいか次第に枯れなくなってきて、そのまま残ってしまう状態になっていた。

草丈は大きいところで2m以上もある。
生えてくる草も蔓があるものもあり、他の草に絡まったり、トゲのある草が急に生えてきたりと荒れに荒れていった。

途中まではそれでも時間を見つけては少しやってみたのだが、手に負えなくなってくると段々嫌になってくる。
出来るだけなんとかしなければと思うようにしていたのだが、それがいけなかったのか手を加えるといっても少しやっただけでやった気になり、とりあえず放置という思考が強くなっていった。

そうするともう半ば開き直りに近い状態だ。

しょうがない。
時間がない。
やる気が起きない。
忙しい。
無理だ。

など、ネガティブな感情しか出てこなくなり、結果的には見て見ぬふりをするようになった。

そかから10年。

昨日、何を思ったのか急に今日やらなければという思いに駆られた。
たまたま、昨日はいつものように家の周りやお彼岸ということもありお墓の草刈りもしていたのだが、いつもはこれで終わりでそこからはゆっくり休むという流れになるのだが、お墓から帰ってくる途中にふと、荒地の光景が目に入り、今日やりきらなければ駄目だ。
となったのだ。

幸いにも昨日は体調も良く、涼しいこともあり出来そうな気がしたのだ。

いざ、荒地の草刈りを始めるとこれがまた割とスムーズに進む。
もっと手こずるかと思っていたのが嘘のように滑らかに刈れていく。

そういうもんだ。

食わず嫌いと一緒で、先入観や固定概念に囚われて実情を見ないで自己判断による分析を優先していたらそれは大きな間違いであることも多く、逆に損をしている場合も少なくない。

ただ、それらに関してはタイミングやモチベーションなどの影響もあるのほ確かだ。

条件が整っていないともしかしたら昨日もできなかったかもしれない。
不思議なのは、やり切らないといけないと感じたことだ。

もっと言うと、今日終わらなければもうずっとやらないだろうとふと考えがよぎったのも不思議だ。

でもきっとこれはご先祖さま目に見えない大いなる力の働きかけもあったと思う。

おかげさまでずっとずっと目を逸らしてきた現実に向き合うことができた。

逃げていい場合もあるが、それはいつまでも続けられるわけではない。
最近自分の人生におけるステージが上がってきている気がする。
これもそういった感覚を感じたりすることに直結するかもしれない。
昔の自分に戻っている感じもする。

心のゆとりや、時間の使い方に少し余裕が出てきたのか、直感力がすごく強くなってきている。
ピュアな感覚を感じたり、ネガティヴな考えが弱まってきている。

やはり、日々忙しくするだけじゃなく、自分を振り返る時間を作り、生かされているという事実を見て見ぬふりするのではなく、ちゃんと感謝という気持ちの心使いをもってそれを行動にあらしていかなければと

改めて思えた1日だった。

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