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夢現(ゆめうつつ)

三連休の最終日。
結局仕事をしている自分。
世の中は賑わっているように見えるが、実はそんな事はないらしい。
昔のようにお金をかけて休日を楽しむという考えが現在においてはお金をできるだけかけないようにしながら楽しめる事を探すといった感じになっているらしい。

大人になると心から楽しめることとか、貴重な体験とかがどんどん減っていく。
子供は本当に些細なことでも喜びを感じるし、それこそ大人が当たり前にしている事を少しでも体感しようものなら心の底から歓喜するほどだ。
その体験はまるで夢のようだとさえ思うらしい笑
そして今日は本当にサイコー!と言うのだ。

なんとピュアなことだろう。
大人になった私たちは常に現実を見る癖がついてしまっている。
思わぬ吉報にさえ疑念を抱くほどだ。
なんとつまらない感受性だろうか。
当たり前のように嘘のような現実だってあるかもしれないし、そう信じればそれか現実として受け止められる。
多分それが私たちが失ってしまった感性なのだろう。

夢のような現実に心躍らせてみることは子供だから許されるのだろうか?
大人がそれを純粋に受け止めてしまう事は恥ずかしく、バカだと思われてしまうのだろうか?

頭の中お花畑だねって。

それのどこが悪いのだろうか?
詐欺やなんかに引っかかるのはまた別だが、自分が心から喜びを感じらるということ自体、大人として生きている時間の中で一体どれだけあるだろうか。

全て否定から入る。
全て疑う。
人生をうまく生きていくには何度か痛い目を見ないといけないが、その度に何か大切な感覚を失っていく。
痛い目に遭いたくないから。
もう失敗したくないから。

もちろん、それで学べることも大いにある。
人生観が変わってしまうくらいのことだってあるだろう。

でも、持って生まれたその人の本質が変わる事は永遠にないと思うのだ。

一皮剥けばみんなピュアだし、みんな頭の中はお花畑。
そんなもんだと思う。
というか、それでいいじゃないか。

現実と夢の区別がつかないくらいの素晴らしい出来事が起こった時、幸福感が少なからず出てくるはず。
それを素直に受け取れる感覚になれればそれこそ
心は晴れやかに笑顔がこぼれ、心が明るくなる。

反対に夢だと思い、素直に受け取れないとした時、そこにあるのは喜びを忘れた凍結した感情だけだ。

大人になって心から喜ぶためには、疑うという事を一旦忘れることだ。

現代においての物事の価値とは目に見えるものが全てであるということ。
基本的にその中では夢のようなことは起きないし、起きたとしてもその裏には良からぬことがあるという辺なブロックが働くようになってしまっている。

それが故に、夢と現実の間にさえいれなくなってしまい希望もなくただ日々を彷徨っている。

夢現という現象はよくよく思い返すと日々を過ごしている中でも何度か垣間見ることができるものだったりする。

表面的には、あり得ないとか信じられないとか言葉ではそう思いながらも心の中では本当は気持ち軽やかに明るい光を感じているはずだ。

忙しさに流されて埋もれてしまったごく普通の喜びを感じられなくなっている現在において、夢現のような出来事が起きた時、ピュアな自分を思い出して、素直に受け止めてみると忘れていた喜ぶという感覚を取り戻すキッカケになるかもしれない。

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