哲学的急進主義


イントロダクション

今回は哲学的急進主義と呼ばれる潮流もしくはグループです。哲学的急進主義とは19世紀前半に英国で活躍した哲学者のグループを指します。メンバーはベンサム、ジェームズ・ミル(息子のJ.S.ミルも今度取り上げるので父ミルと呼びます)、リカードの3人です。

彼らの思想的課題は、英国で起きていた産業革命とフランスで起きていたフランス革命にどのように適応するか、ということでした。ですので、彼らは英国の政策や経済という次元で思考しています。

彼らがなぜ哲学的「急進主義」と呼ばれているのかと言うと、選挙権の一般市民(といっても男性だけですが)の拡大を結論として主張したからです。

今となっては当然の主張かもしれませんが、「自由・平等・博愛」を謳いながらもロベスピエールが登場してしまったフランス革命を見て、急進的な改革は良くないという保守主義が英国では強かったのです。

思想的には、エドモンド・バークが改革はその国の歴史に従って行わなければならず、英国には英国の漸近的な民主化の歴史があるのだからフランスを真似る必要はないと主張しました。

これに呼応するように、英国のトーリー党(現在の保守党)は英国国内の革命の伝播を恐れて反体制的政治運動を一切禁止する団結禁止法を出します。

この当時に起きていたのがフランス革命だったならば、この対処で良かったのかもしれません。しかし、産業革命とその弊害が英国を襲っていたこともあり、改革は避けられませんでした。

以前紹介したスミスは「国富論」にて、国家が環境を整えれば市場に任せておけばうまく行くと主張していましたが、哲学的急進主義の時代には、工業化による都市人口の増大とスラム化、資本家階級と労働者階級の対立の激化などの問題が散見されました。

そこで、哲学的急進主義は人口の大多数を占める労働者階級の利害を国政に反映させるために、選挙権の拡大を主張したのです。

ここからは各思想家(ベンサム、父ミル、リカード)の主張を紹介します。

ざっくり区分すれば、

・ベンサム:功利主義という考え方を提唱し、選挙権の拡大を哲学的に擁護

・父ミルとリカード:功利主義をそれぞれ教育と経済に適用

ということになります。

ベンサム

まずはベンサムの思想です。

ベンサムは社会契約論者と似たように、人間観から出発します。その際、社会契約論者を、「人間の本質の規定が各論者の主観や好悪の反映に過ぎない」と批判します。そこで、客観的に判別を行うための図式として「快楽主義のテーゼ」を提案します。

快楽主義のテーゼ:人間は快・苦痛に従って行動する。それ自体として「善い」ものは「快楽」以外になく、それ自体として「悪い」ものは「苦痛」以外ない。

これなら、人々が行っている行為が快か不快か観察することで社会的に善か悪は区別することが出来ますね。

ベンサムはここから「最大多数の最大幸福」という考え方を示します。

個人として正しい行為は社会全体の「快楽」を最大化し「苦痛」を最小化するように行動することになります(快楽=善、苦痛=悪なので)

為政者や立法者として求められる行為は、「物理的・政治的・道徳的・宗教的」な「制裁」を用いて、社会全体の「快楽」が増えるように政策や法律を定めるべき、となる。

ここで注意したのは、「功利主義=利己主義」ではないということです。

ベンサムにとって道徳的な行為は、個人でも為政者でも社会全体の「快楽」を最大化することなので、もし目の前の「快楽」を避けることで社会全体の「快楽」が増えるならば、そうするべきだということです。

例:自分は疲れているけど、電車で年配の方に席を譲る

父ミル

次に父ミルです。

父ミルはベンサムの抽象的な理論を明快な教育論や政治論として展開したことで有名です。

父ミルの教育論はヒュームの「観念連合説」に影響を受けています。「観念連合説」とは「A→B」という連続した事象が何回も繰り返されることによって(「習慣」となることによって)、「Aが起きたらBが起こる」という観念を抱くにいたる、というものです(「パブロフの犬」が有名な例です)

父ミルはこれを、「快苦の見込みを用いて、人の心のなかに永続的に有益な連鎖を維持させる最高の手段」だと考えました。

つまり、「A(求められる行動や規範)→B(快楽の到来)」という信念を形成することで、実際にAを日常的に行うようになる、ということです。

父ミルは、人間は出生時には大した能力に違いはないと考えていました。となると、階級間に能力のレベル差が起こっているのは一部のエリート層が教育を独占しているからということになります。

父ミルからすれば、社会の「快楽」を最大化しようとすれば、社会の大多数である中間層や労働者層に知識と道徳の水準を引き上げるための公教育を施した方が社会の「快楽」量は増大する、と考えました。

リカード


最後にリカードです。

リカードは都市のスラム化の現状から、「労働者の高賃金での完全雇用」を目指す経済学を構想します。父ミルと似たように、これも社会全体の「快楽」の増大に繋がりそうです。

リカードは資本家と労働者の対立を以下のように考えました。

1.生産物の価値は投入された労働量で決まる

2.労働者の賃金と資本家の利潤は対立する

3.資本蓄積に必要な資本への分配を増大させるためには、労働への分配を相対的に小さくするほかない

この対立は、労働者の生活費を下げることで解消されます。ただし、労働者の生活水準は下げずに、です。

となると、資本家はまずは資本蓄積によって技術革新を起こすべきとなります。これによって、商品の価格が下がるので労働者の生活費が下がるからです。また、新たな機械(資本)の導入によって労働需要が高まるので短期間での賃金が上昇します。労働者によっては短期間での賃金は下がり、長期間では生活費が安いという理想的な状況が到来すると、リカードは考えました。

リカードのこの論はJ.S.ミル(父ミルの息子)の社会主義論に繋がっていきます。

参考文献
一ノ瀬正樹 英米哲学史講義 筑摩書房
Bertrand Russell 2004 History of Western Philosophy Routledge
坂本達哉 社会思想の歴史 2014 名古屋大学出版会

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