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自分の人生に冷めてる件

YouTuberのナオキマンさんとはせくらみゆきさんとの対談のYouTubeを拝見しました。
はせくらさんが4,5歳の時に、天井を見て、「誰が見てるんだろう?」「私ってなんだろう?」と思って、私っていうアバターに入っている私のアバターを見ている人という感覚に、嬉しくなった!
という話をしていた。

すごくハッとした。
え、待って、、、!私も!
私もおんなじ感覚を味わったことある!

そして、今もこの感覚の影響受けて、今の自分が成り立ってるなぁと、ふと腑に落ちて、それをまとめておきたくなった。

やっぱり、自分を知るためには、
他人の感覚を知る必要があるよね。

私の場合は、
小学2年の頃に、ふと鏡に映る自分を見ていると、
急に、背中あたりがムズムズする感覚になって、
「え、誰?この人?、、、え、誰?、、、私動かせるけど、この人誰なの?」って、鏡に映る自分にめちゃくちゃ違和感を覚えて、
すごく気持ち悪い感じ、なんか、この誰かわからない人から抜け出したい感じがした。

その後、鏡を見ながら、
もう一度味わおうとトライしたみたけれど、
ほんの少し、感覚が戻ってくるけれど、
すぐに普段の鏡を見る感覚に戻ってしまって、
いつのまにか、この経験すらも記憶の彼方になっていた。

丁度同時期に、あちこちオードリーという番組を見て、
「芸能界のスターは、自分の人生に一生懸命な人だよね。」「自分を客観視しはじめたら、もうダメよ。」
という話を聞いた。それをみていたら、あの鏡の違和感の感覚と繋がって、、

私は、あの鏡の違和感以降、最近まで、
私は、自分の人生の主人公でなく、自分の人生の客観視する人になっていたかもなぁ。
と気がついた。

これは、いわゆる他人軸で生きていた訳ではないのだ。他人に嫌われようが、私の知ったこっちゃない。
自分のことを自分が冷静に観察していて、
例えば、
めっちゃ好きな人できたかもー!って思っても、

待てよ、この高まる気持ちは、長くは続かないマヤカシ。へー、私ってこういう人に対して、好きって思うんだなぁ。そういえば、どんな特徴に好きを感じたんだろう。うん、彼はマンガでいうと、マギのアリババ君みたいな感じ。共通項は、、、あー、ヘタレリーダーっぽい所がいいんだなぁ。なんで、その特徴好きなんだろう。私は、上手に周りを巻き込まないから、きっとその周りを巻き込むことを息をするように出来ているところに、憧れというかを感じるんだろうなぁ。そういえば、私が周りを巻き込むの苦手なのは、、、、、、、、、、、
と脳内でめちゃくちゃ早口にぐるぐると分解して考えて、自分を知って満足する。

自己探求できて満足しちゃうから、いつの間にか、好きな気持ちは下火になって、好きを相手に伝えよう!まで行かないんだよなぁ。
ぐるぐる考えて客観視してるからって、
二重人格でもないんだなぁ。

でも、時々、自分で自分の感情がわからなくなって、モヤモヤと沸々とイライラしていて、爆発して自分で自分のコントロールが不能になってしまうことがある。
今思うと、この爆発は、アバター側の私のささやかな反抗だったのだろう。好きという感情を、自己探求に使わずに、その好きな相手に伝えて、目の前の恋愛に没頭したかったのかも知らない。

この時の自分、生きづらかったね。
頑張ってた。

今は、あることがきっかけで、
アバターの私と、客観視している私とが、
ちょっとずつ融合してきて、
客観視しつつも、自分で自分のご機嫌をとることができるようになった。
最近は、爆発することもないし、原因不明のイライラもない。
なんか、生きやすい。

でも、やっぱり、自分は自分の人生の観察者であることは辞められなくて、
自分の人生に、やっぱりなんだか、冷めてるんだよな。






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