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大人になったらオモチャを卒業する理由とか(有料記事、無料体験キャンペーン)

おはようございます。今日もよい1日を。

今日は限られた人にだけお話ししたい事なので
大した金額ではないですが、有料記事にさせて頂きます。

この世界には『日常』と『非日常』という2つの状態があります。

『非日常』の呼び名は「戦争状態」「暴徒化」「災害時」「戦闘区域」等様々な呼び名があります。

(以下、300円→無料)

日本中で古今東西、大人気のバトル漫画。
これは「暴徒化」した者により辺りが「戦闘区域」となる「災害」と「戦争状態」になる事でストーリーが進んでいきます。

武器や技にカッコいい名前こそつけられていますが
主人公達の武装こそ「戦いと災いをもたらす物」であるわけです。

悪に使われる力と主人公達の力の違いは
「自分のため(攻撃のため)に使うか、他人のため(防御のため)に使うか」です。

つまり、仲間や人々を守るために戦った正義の戦士達は
傷を負い、時に仲間を失いますが
その手には何も残らない。それが人々を守るために戦うという事です。

ちなみに、キャラクターとして人気の出やすい
善悪を超越した者とは、「力を自分のために使うが、(自身の信念に沿って)他人のためにも使う」者だったりします。

ヒーローに憧れてオモチャを振り回していた子ども達も、それが誰かを傷つけた時に「暴力は良くない」と学ぶのでしょう。

たとえカードバトルでも、モンスターファイトでも、「戦い」を学校では見せない、会社に持って入らないと。

そんな大人達が昔は社会を作っていました。

カードバトル漫画では、時折「対カードバトリスト専門部隊」が組織されていますが、やはり他の部署の社員はカードバトルをしている描写はありません。

闘う事が全ての時期は誰にでもあります。定型に育った小学5年生の男の子は誰でも町のレッドなのです。

厳しい家で親から責められた子は
語られる英雄に自分を重ねるしか生き方が選べないですからね。

中学2年生で黒い炎に目覚め、「この世界の誰も知らない秘密」を知っていくのは定型に育っている証です。

やっぱりレッドは体力を使うんです。

高校生になって「色づいていく」世界を見て、やがて「灰色の社会」へと進んでいく。

赤か、黒か、白か、ではなく
色彩が世界を彩っていると知っていく………
この頃には赤色もレッドマンの色ではなく、炎の色として使える事でしょう。

たまに、小学5年生のレッド君のクラスの脇役・端役だったりして
自分が主人公のヒーローごっこを始めるのが人より遅く、紅く輝くのが青年期になる子がいますが
それは俗に『英雄』と呼ばれます。

己の欲望を満たすためにせよ、理不尽な社会への報復にせよ、暴徒化した市民の鎮圧にせよ
話し合いを行わず「武力介入による一方的な現状変更」という反社会的な解決方法。

「ヒーローと英雄は違う」とも言われますが
とりあえずの巨悪(テロリスト)を打ち倒したからお手柄と敬礼されるのと
法律的な、あるいは法律の主旨をリスペクトした社会から共感される主張というのは、やはり違うのだろうなぁと思います。

力を手に取る人は2種類。
自分のため(攻撃のため)に手に取る人と
他人のため(防御・防衛のため)に手に取る人

他人のために闘う人は
傷つき、時に仲間を失いますが

他人のためだけに使う防御・防衛の力を手にした者は、力の代償は少なくても、その手には何も残らない。

大事な事なので2回言っておこうと思います。

魔よけのブレスレットも、秘密結社のペンダントも
持ち主に非日常に抗う力を与え
非日常の世界を表す魔道具

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