タイムリミット(短編小説)(ショートショート)
ハァハァハァ・・・
「あと少しだ。あと少し」
急いでいる。
とてつもなく急いでいる。
もうすぐあれが来る。
駅までもうすぐ。
それまでは待ってくれ。
肩で息をしながら小走りで進む。
真夏の太陽はギラギラとビルの窓に反射して降り注ぐ。
向こうには大きい雲が見える。
雨にでも当たったかのようにかいた汗。
「なんかさぁ、今日カッコよくなかった」
「そうエグかった!」
「よなぁ!もうエグいの!そうそう見た?Tiktok」
「いや、見てないけど」
「まじ?これこれ」
・・・ちょっと待てそこ、どいてくれ、こんな狭い歩道を横並びで歩かないでくれ。頼む!
「まじじゃん!めちゃいい!」
「でしょ〜」
「え?でもこれってKENくんでしょ?」
「そうそう」
・・・KENくん?・・・いや、知らないから頼むよどいてくれ。
横断歩道。信号は赤になった。
前にいる通行の妨げになっている女性2人は立ち止まった。
おっふ・・・
「KENくんってなんかダンスやばいらしいよ」
「そうそう」
KENくんのダンスの何がやばいんだ?
「KENくんって料理得意なんだって」
「へ〜!やっば!超良きじゃん。何得意なの?」
「え〜なんか『豚肉の梅大葉チーズ巻き』だって」
何だって!?豚肉の梅大葉チーズ巻き!?うまそうじゃないかKENくん
「なんか、家族大変らしいね」
「そう、なんか母親しかいなくて兄弟が出て行ったきり音信不通なんだって」
「芸能人になったのも有名になれば兄弟と連絡が取れるかもしれないってことらしいし」
KENくんお前・・・
「昨日、階段登れなくて困ってるおばぁちゃん助けてたってXに上がってたわ」
「やばぁKENくん、まじ良いやつじゃん」
やばい、KENくんまじで良いやつだな。何なんだKENくん完璧じゃないか。後で調べてみよう、そう『後で』だ!今はそんなことをしている場合ではない。
信号が青に変わった。よし行こうKENくんのことは気になるが2人を追い抜かして先を急ぐ。
汗が止まらない。このまま力尽きてしまいそうだが駅までもう少しだ駅に着いてしまえばもう安全だ。
だからもう少しもってくれ!
後から声が聞こえた。
「あ!KENくん!」
「やば〜!!KENくんじゃん!」
何〜〜〜〜!!!!KENくんだって!?KENくんがいるのか?どこにKENくんがいるんだ!?後を振り返る。2人の女性は横断歩道を渡って右を見ていた。向こう側か〜〜〜進行方向にいないのか〜〜!KENくんの顔みたい!!!
どうする?行くか?いや、もうすぐ限界なのだ。寄り道をしている暇はない。しかし気になる。KENくんとはいかなる人物なのか。そこまで魅力的な人ならば私もKENくんが推しになるかもしれない。ならばそこにKENくんがいるのならば、会っておかなければならないのではないか?どうなんだ?どうするんだ??私は!
私は、KENくんのいる方向に体を向けていた。KENくんとは何者なのか、全く知らないが、KENくんという人間を一目見ておく義務のようなものを感じる。KENくん。
「違うじゃん。あれ」
は?
「やっぱ近くで見ると違ったわ」
は?
「ってかこんなところにKENくんいるわけないじゃん」
「だなぁ今舞台中だもん」
は?
「あぁあ帰る?」
「帰る」
・・・おい!帰るじゃないだろ。KENくんは何だって?人違いだって?俺のこの感情をどうしてくれるんだ?そして一刻の猶予も・・・
あ、やばい。
俺は踵を返して駅まで一目散に走った。
ハァハァハァ。着いた。駅だ。やっと着いた。よし、これでこれでようやく。
しかし、まだ終わりではない。後少しだ。後少しで。後・・・
・・・あ・・・
帰宅ラッシュを迎えた駅には人が流れる音がする。駅のスピーカーからは『各駅停車は予定通り』と伝えるアナウンスが流れている。目の前のトイレからは水の流れる音が聞こえている。
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