思い出すこと

いつも不意に思い出すことがある。いくつかあるのだが決まって何の変哲もないことだ。恥ずかしかったことや怒ったこと楽しかったことだって実はその場面は思い浮かぶことはあまりない。何の変哲もない場面が思い浮かぶのだ。
 
 今日から更新の頻度を上げたいと思っている。思っているだけで実際そうするのかはわからないが、、、
 復帰一発目は何の変哲もないことを書こうと思う。

 僕は中国地方のとある県に住んでいる。ちょっと観光名所として有名でちょっと注目される場所だ。父親がこちらに住んでいて母親は青森の出身だ。なので小学生の頃は毎年夏休みの1、2週間青森に行っていた。まだ青森まで新幹線が開通していない時代。行き方は決まって寝台特急。それは楽しかった。旅をしているという感覚があった。

 それはいいのだが、思い出すことは決まってじっちゃん家の隣にある銭湯からの帰り道、しかも道路を挟んだ向こう側の風景だ。これが何故なのかわからない。銭湯が隣ということで家に風呂はあるのだが一度も入ったことはなく銭湯に通っていた。大きな風呂。響く音。流れるお湯。水風呂やサウナに入る人の気が知れないと思いながら入っていた。

 道路を挟んで向かい側、確かタバコ屋さんだったかと思う。交差点の少し向こうに公園があった。何の変哲もない景色。

 これが何を意味しているのかは全くわからない。よくこういうことを耳にする「何を見るかではなく誰と見るか」無理やり解釈するとこういうことになる「楽しかった思い出はその時一番気持ちが落ち着いていた時の記憶が残る」全然意味が違うような気もするが関係ない。物事はクローズアップしたことだけが記憶に残るのではなくもっと広角に、その周りの環境に影響されて残るのだろう。だから「何を見るかではなく誰と見るか」だ。ただ言いたいのは1人で見ても感動はするし自分の心に影響は与える。それは間違いなくそう。
 楽しいというのは気分が高揚している時。そのことだけにしか目が入っていないが本当に記録されているのはその周りに何があったかということだろう。

 ということは僕は常に興奮状態にあったということだ。

これを書いている今の僕はもしかしたら記憶の中の僕から語りかけられているのかもしれない。

 「落ち着いて立ち止まり周りを見回せばいい。そこに何か自分の中に残るものがあるはずだから」と。

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