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「卵---親鳥と雛鳥の関係」心に浮かんできた言葉(006)

 おはようございます。「てると大吉」です。
 今年もツバメがやって来て巣作りを始めました。抱卵の後、雛たちが賑やかに鳴き始める姿を思いながら、巣に出入りする親鳥の姿を眺めています。

 今日は「卵」の話をします。
 結婚披露宴に招かれて「スピーチをお願いします。」と言われることが時々あります。嬉しくもあり、なんだか恥ずかしくもありという感じです。
司会者に「ありがとうございました。」と言われて席に戻り、やっと料理が咽を通るのが僕です。

 そんな僕の持ちネタの一つに「啐啄」(啐啄同時とも)の話があります。

「啐」(ソツ)は卵の中の雛鳥が殻を破りたいと内側から突くこと。
「啄」(タク)は親鳥が卵の殻を突いて、雛鳥を助けること。
辞書を引くともう少し詳しい語釈があるのでしょうが、僕の理解としてはこんなところです。

 挨拶の後、「さて、親鳥が卵をあたためている様子をイメージしてください。鳥の種類は何でもかまいません。」
「次に卵の中で育った雛が卵の外に出たいとその柔らかな嘴で卵をつついている様子をイメージしてください。親鳥はどうするでしょう。」とスピーチを始めます。

 親鳥に助けられた雛鳥が、卵の殻を破り外に出るところまでをイメージしてもらったところで、

 「さて、これは師と弟子、先生と生徒などの理想的な関係として語られることが多いかもしれませんが、僕は夫婦関係にも当てはまると思ってこの話をします。」と続けます。

 親鳥は雛の殻を破りたいという気持ちを感知する必要がある。そうでなければ雛は自分だけでは殻をやぶれず孵化できない。もちろん雛も殻を破りたいと親鳥に伝えなくてはこの関係は成立しない。
 
 どちらが先ではなく、この絶妙のタイミングはお互いを気にかけていなくては得られない。お互い「思いやる」ことなくして、この関係は成り立たない。

 夫婦関係も同じではないだろうか。
 どちらが先とか、役割分担とか、固定された関係性ではなく「お互い様」と思いやる関係性、ある場面では親鳥になり、ある場面では雛になる。この関係性を意識するとお互いが成長できるのではないだろうか。

 ・・・本日はおめでとうございます。・・・
(披露宴のスピーチなので夫婦関係でまとめます。)

 何歳になっても人は親鳥であり、雛鳥である。そうありたい。
 僕はシンプルにそう思っている。いろいろな人間関係において。


 このnoteを始めるきっかけをもらったある人への感謝と、これから新しい生活を始める誰かさんと誰かさんのことを想って、今回のnoteを書きました。

 読んでいただきありがとうございます。

 今日もお互い様と優しい気持ちで過ごせますように。

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