母親が51歳で亡くなってしまった。


24年1月15日(月)AM1時19分 母親は息をひきとった。
死亡理由は、くも膜下出血。

1月7日(日)急に兄から電話がかかってきて、
「お母さんが職場で倒れた」と言われて、すぐに搬送先の病院に向かった。
私も兄もとても動揺していた。

まあ、貧血とか疲労とかかなってそんなに言うても重症じゃないだろうと
希望をいだいて病院に向かった。
けど、運ばれた先がICUと聞いて医師から話を聞くと、

くも膜下出血で意識が3時間戻っていない。
搬送中に心肺停止になったけど、病院でなんとか心臓は動くようになったが、脳の意識が戻るのは難しいとのこと。

あまりにも、急で頭がまっしろ。
まるでドラマの中にいるようで、現実味がなかった。

その後、母のいる病室に案内された。入るのが緊張した。怖かった。
病室に入ると、いろんなものが母の口や鼻につけられていて、今まで見たことのない母親の姿に見た瞬間に涙が止まらなかった。

何度も名前を呼び掛けた。お母さん。お母さん。と
まだ、脳死の状態ではなかったから、声をかけてお母さんに呼びかけた。
お母さんが起きてほしいと思った。声が届いてと。

泣いても泣いても涙はとまらない。枯れるほど泣いた。
泣けと言われればいくらでも泣けた。
その分喉も乾いて水をたくさん飲んでいた。
早ければ今日息をひきとるかもしれないと言われていたから、
親族を呼んだりしないとだったり悲しみとお母さんに今私たち兄弟は
何ができるかを考えて必死だった。

ただ、母親は脳以外は健康診断も他の人より通っていたし、
食生活やその他の面でも健康でコロナにもかかっていないくらい健康だったから、7日に倒れてから心臓は頑張って動いてくれていて体温もあったかかった。

そして、7日に倒れてから9日間も病院で頑張ってくれていた。

病院にいた時のことはまた、次の記事で書こうと思いますが、
本当に今も信じられない。

私は母と二人で暮らしていて、週に1度は兄も家に顔を出すのが日課だった
だから私と兄と母の絆は誰よりも大きいもので、
家族の中でも母がいることで一体感があった。

突然の死を受け入れることはできないし、後悔や悲しみ、何でお母さんがという感情で家の中で夜一人になる時間が怖くなる。

今は仕事をするのもモチベーションがあがらないし、一人でいる時間は嫌だ

また、長くなるから今度記事を書いていきます。

言葉に記すことで少しでも心が穏やかになれるような気がします。

ここまで読んでくださってありがとうございます。


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