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「誰か」が担任に言ってくれて、いじめは収まった。

 保育園で場面緘黙を発症し、それが治ることなく中学に進んだ私は、授業中以外は喋らないという普通ではないことを理由に、クラスメートの男子生徒二人からいじめを受けた。腕をつねられたり、パンチされたり、物を取られたりしたが、「やめて」と言うこともやり返すこともできなかった。
 時は、90年代の後半。不登校という言葉もなく、学校を休むという選択肢はなかった。誰にも相談できず、喋れないことも、いじめられていることも、一人で抱えながら毎日学校に行き続けた。

 教師からの突然の呼び出し

 二学期のある日の放課後。
 ホームルームの後、担任教師に声をかけられた。私にとっては、中1のときのその担任が、初めての男の担任だった。当時の年齢で、40代後半から50代前半くらい。普段は優しいが、怒ると怖いことで知られる教師だった。

 この日の1週間くらい前に、私は担任と個人面談をしたばかりだった。学期ごとに生徒全員が担任と行う面談で、好きな科目や仲のいい友達などを聞かれる内容だった。最後に、学校での困りごとはないかと聞かれたが、いじめられていることは一切言わずに、困っていることはないと嘘をついていた。
 その個人面談をした直後にも関わらず呼び出されたため、何となく察しはついていた。会議室のような部屋に一緒に行き、座って向き合い、担任に言われた第一声は、「(学校生活は)どうか?」だった。
 その一言で、私は完全に理解した。この人は、もう知っていると。
 担任のその質問に何て答えたのか、正確には覚えていない。何て答えればよいのか逡巡し、「楽しくはない」というような言葉を絞り出した気がする。
 すると担任は、いじめをしてきた男子生徒二人の名前を挙げ、この二人で間違いないかと確認した。それから、二人からどんなことをされているのかを聞かれた。「いじめ」というワードが担任の口から出てきたか、また自ら口にしたのかはもう覚えていない。
 だが、私は、全てを言わなかった。皮膚をつねられたり、シャーペンで刺されたりという身体的な被害は口にせず、「筆箱を取られたりしている」と、嘘ではないが真実でもないことを話した。

 何故だかは分からない。前もって聞かれる内容が分かっていれば、答えの準備もできたかもしれない。あまりにも突然呼び出され、いじめのことも知られていたから、担任にどこまで正直に話すのが正解なのかを考えられなかった結果かもしれない。
 また、担任は、そうした行為をされる理由に心当たりがないかも尋ねてきた。
 これには「分からない」と答えたと思う。場面緘黙なんて言葉もなかった時代だ。「先生以外とは喋っていないからです」とは言えなかった。それを言ってしまえば、「じゃあ何でクラスの皆とは喋らないんだ?」と聞かれるからだ。
 そのことが何より嫌だった。喋れない理由、喋れなくなった原因が、自分でも分からなかった。だから、聞かれたくなかった。

 親には絶対知られたくなかった

 面談を終え、これでいじめがなくなるという期待感よりも、親には知られないだろうかということの方が気になった。担任には、うちの親には言わないでほしいとは頼めなかったが、その後親からは何も言われなかった。
 誰が、いじめのことを担任に言ってくれたのかも分からずじまいだ。これも、もう死ぬまで分かりようがない。
 それでも、翌日からいじめはなくなった。担任が、その二人に厳しく指導したのだろう。
 だが、中2になると、二人のうちの一人とまた同じクラスになり、担任も変わった。すると、そいつからのいじめは復活した。
 また神様仏様に、どうかこいつを殺してくださいとお祈りをすることになった。でもやっぱり、そいつは死んでくれなかった。

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