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表現しなければ、出会うべき人に出会えない。

今までお寺のインスタで日記を書いていたが、
これからはお寺と個人を分けて表現していこう、と思い立った。
お寺アカウントに個人的なことを書く躊躇いも理由の一つであるが、
私が「表現」するという事がいかに大切だったかに気づいた。

きっかけは別の名前でやっているnoteだ。
というのも、去年深く思い悩む出来事が発生した。
怒りと悔しさと悲しさで胃が焼けそうだった。
特定の個人というより、もはや社会に対す不満?みたいになり
誰に相談しても上手く消化できないし、
かといってこのまま抱え続けることもできない。
だから、誰も読んでいないだろう、と思っていた媒体で
その時の思いを書き殴った。
そんな記事に、一件のコメントがついた。
(以下、断片的に)


It’s still important to express yourself
自分を表現することは大切だよ

Especially if it can make you happy
それが自分を幸せにしてくれることならなおさらね

Being creative!!
クリエイティブに!


なんということか。
今までいいねをもらったことはあっても
コメントをもらえたのは初めてだった。
しかも英語だ。どこか遠くの人かもしれない。
こんな己の暗部を晒すような記事に反応をもらえたことが
最初は恥ずかしかった。
でもなぜか、この出来事の一端を知る人が励ましてくれたどの言葉よりも、
たった数行のこのコメントの方が、私に寄り添ってくれた。

なぜなら、私が私の気持ちを表現することを全肯定してくれたからだ。
誰かにそう言ってもらえるのをずっと待ち望んでいたのではないか。

例えどんなに正しい主張でも、
誰も多くの人に伝わる文章でも、
自分が言いたいことを言える方が私にはよっぽど大切だったのだ。
(もちろん人を深く傷つけるような言葉はNO!TPOも大事!)
そして「それでいいんだよ」と誰かに言われることで
やっと自分を認められた。
頭の中に留めているだけだったらそれに気づけなかっただろう。


事実、自分の本当の言葉を削った文章よりも、
素直に書いた文章の方が人に届いたではないか。
少なくともたった一人には。
そのたった一人が私を奮い立たせてくれた。
It can make me happy なのだ。


以前、私が失意のどん底にいる学生だった頃、
複数人でバーミアンで食事をしていた時
なぜか友人のお母さんに手を握られながら言われた言葉がある。


「あなたの手、まだこんなに薄いじゃない。
表現しなければ、出会うべき人にも出会えないよ。
まだまだ努力が足りないね。
でも絶対大丈夫。」


そのお母さんは酒豪で、
バーミアンにあるビールを全部飲み干す勢いだったが、
厳しくも暖かい言葉をくれた。
出会うべき人に出会えるようにやっとなってきましたよ、お母さん。
あの時はしくしく泣いてたけど、もう泣いてばかりいられないよ。
もう煌永になっちゃったからね。

ということで、続くかわからないけど、
このnoteも奥野煌永として「出会うべき人に出会う」の一端になったらいいな。

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