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あと少しだけ

片側2車線の道路。

私の家からちょうど10 - 15分くらい走ったところに、ダンプカーが数十台停まっている会社があります。

進行方向、左手側です。

走っている左手側のその会社から、ダンプカーが右へ曲がろうと道を跨いだところに彼のバイクが突っ込んだ状況です。

彼の身体とバイクは、ダンプカーの後輪に刺さる状態で、その衝撃で投げ出され、ヘルメットも吹っ飛んで、首もグラグラだったという話を聞いていました。
ヘルメットの顎紐は、ヘルメットについているところから外れており、きちんと紐は閉められた状態だったと警察の人に聞いてきました。

何でそんなことになったんでしょう・・・
スピードメーターも53キロで止まっていたといいます。
スピード違反もなかったということです。

後になってわかったのですが、そのダンプカーの運転手、右を見ないで、右に曲がろうとアクセルを踏み、道路をまたいで、ハンドルを切ったということでした。

一瞬でも右を見ていたら、バイクのヘッドライトが見えたはずです。
交通事故は本当に一瞬です。

その一瞬の判断が、生死を決めるのです。

ヘルメットもどこかに転がって、センターラインを飛び越え、倒れていたら引かれて居てもおかしくない状況ではなかったかと思います。
そこで、彼は遠のく記憶の中で無意識に私の名前を呼んでいたんです。
それは、虫の鳴くような声だったのか、それとも、きちんと耳に届く声だったのか、そういうことは何も教えてくれません。

どうか、警察の方、覚えて居てください。
そういうことが知りたいんです。
あなたたちにとっては、ただの業務かもしれないけど、そんなに事務的に亡くなった人の命を扱わないでください。

全身打撲、脳挫傷、その上身体中の骨が折れている状態。

バーーーーンッ!! 

の後は、何もわからなかったのか?
痺れたのか?
苦しくはなかったのか?


ダンプカーの運転手には、奥さんとまだ小さい子供がいました。
その子供も、もういい大人になって家族を持っているんじゃないかな・・・
そんな年齢です。

運転手は、毎日流れる交通事故のニュースを見て思い出しているのでしょうか?
私は、ことある毎に思い出し、フッと彼を思い出したことを忘れます。
それがもう、きっと何百回も、何千回もあったんじゃないかな?と思っています。
運転手は、「本日未明、〇〇で、バイクとトラックの死亡事故がありました」
というようなニュースを見て何とも思わないのでしょうか?

まだ彼を失って間もない頃、私はそのダンプカーの運転手について、こう考えていました。

『今回の相手運転手は交通事故のニュースや、道路上で事故をやっている場面を見るたびに、あぁ、自分も交通事故で人を死なせてしまったんだなぁ・・・って思い出すことが、きっとこの人を一生苦しめるんだなぁ〜、それが、この人の罰なんだなぁ・・・』

と思っていました。

でも、多分それは違う。
加害者の彼はもう、キレイさっぱり忘れている。
覚えているのは被害者側ということじゃないかって思っています。

人が忘れて行く動物というのは知っています。
でも、加害者は時間に押され、毎日の生活の中に日常をとり戻し、だんだん忘れていく生き方になり、最後には完全に忘れ、楽しく笑って生きて、被害者は時々ことある毎に思い出す。加害者の逆を生きるのです。
彼の両親に関しては、毎日のように彼を想い、そして細かなところまで丁寧に思い出し、きっと仏壇に向かって時折涙をこぼすこともあるでしょう。
それが普通なんじゃないかって、この頃思うんです。

運命とは、本当に残酷です。

加害者はそのことを最後にはすっかり忘れ、被害者はその時間、その時に取り残されたまま歳を取り、死ぬのを待つのです。

私は本当にラッキーなのかもしれない。
だって、彼の死によって、こんなことまで感じ、それを知って生きてきたのだから・・・
それに、もちろん要所要所は思い出しますけど、私は当事者だというのに、すっかり忘れ、日常を取り戻し、それを糧に自分を大切にし、今を生きている。

彼に「俺が死んだら〇〇も死んでね」
と言われたにもかかわらず。。。

許してね。
あと少し、数十年、一生懸命、あなたの分まで生きますから。


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