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自分自身の幸せ

この頃『自己肯定感』とか『自身の幸せ』など、よく聞く言葉になったと思う。
時代もズンズンものすごい速さで動いている。
人々が逆らっても表現する暇もないくらいの速さで流されている感じ・・・

『見るだけ』より、参加型、体験型。
自分の好きなことをするために休みを取って堂々とやれる時代。
とてもいい時代になったものです。

では、自分の好きなことがわからない人にとってはどうなんだろう・・・

私もその1人なのかもしれないな、ってこの頃思う。

子供の頃からずっと音楽をやってきて、恋人は婚姻届を持ったままバイクの事故で即死。その後、何もする気にならなくなって、個人事業で構造変更専門の車検屋さんになった。
その後、1人で子供を産んで、こども病院で手術を受け、トレーラーに乗りながら、娘を育てる。

これではダメだとロンドンに行って暮らし、その後アメリカへ。
アメリカ人と国際結婚をして、アメリカに移住。男の子を産んだ。
アメリカではデザイナーの彼が個人事業主に。
その後日本に戻り、株式登記。
日本人ではないと社長になれないと銀行員に都合よく言われ、仕方なく私が代表に・・・
その後、もう1人男の子を出産。
夜中、家族が寝静まってからずっと一晩中ゲーム。1ヶ月に40万近く浪費。
それを返すために身重の身体でとにかく働いていたが、それが彼から言わせると
『君は働きすぎで2人の時間がない!』
と、アメリカ人亭主は気に食わず外に女を作り、そして、離婚。
まるで作られたシナリオみたい。

私から見ると、彼は父親として、または亭主としてしっかり仕事をしている人には見えなかった。
『朝起こして』と言われ、起こしても起きないわけだ。
それをチビが起こしに行くとキックされ4メートルくらいすっ飛ぶ・・・
たまらないよね、そんな朝。

そして、今だに1人でいると言うわけだ。

全てが中途半端。
何も残ってない。

ただ、子供を育てていた時間だけは異様に長いのかもしれない。
しかも、イギリス、アメリカ、日本で育てている。

自分の幸せって、なんだだろう・・・って考えた時に『子育て』
それが心に響く唯一の私のたったひとつのキャリアだった。

音楽もプロの道が開かれたら、彼の即死でステージで弾く気になれなかった。
1人になりたくて娘とふたり、トレーラーに乗った。

私の好きなことってなんだろう・・・
それが全くわからない。

今生きている日常が嫌いなわけではない。
子供達も大好きだし、関係性も最高だ。
なんとなく惰性で続いてきた人生を、変えるきっかけを掴めないまま、気づいたら月日がたっていた。

人間って勝手だよね。
変えるきっかけを作らなかったのは自分なのに。

だから今からでも少しずつ変えて行こうと思う。
好きなことが見つからなくても、少し変えて行こうと思う。

*jotm5さん、ステキな写真ありがとうございます。

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