人を飛蝗にしてはならぬ


人を飛蝗にしてはならぬ            
飛蝗とは、バッタのことである。2004年10月21日に、大阿久尤児君がこの世を去った。彼と私は、1960年4月に大学に入り、ホッケー部に入部するという偶然で出会った。哲学と物理という典型的な文系と理系に進学した。その後、半世紀近く会えば議論と言う仲だった。私が遺稿出版「詩人が新聞記者になった」の編集長のような役割を引き受けた。朝日新聞社のデータベースから彼が無署名で書いたものも含め多くの文章の掲載を認めてもらった。その中で、私が最も優れていると思ってきた一文を、現代の世相への警鐘として、再録したいと考えた。とは言っても、私は朝日新聞の識者ぶるが、何を言っているのか意味不明の社風を好んではいないのだが。

それは現在の世界の政治指導者への警鐘である。トランプ、習近平、金正恩、、など。特に日本では、石原慎太郎や橋本徹や小泉進次郎のような人物を支持する気持ちになり易い人々への警鐘である。彼らに共通する資質は、物事の本質を根源的に認識し解決しようとする気が無いままに、大衆受けのする表面的な言葉をタイミングよく見つけて、自分を売り込む能力である。最悪の状況に社会を引きずりこんでも、自分の責任とは露とも思わないタイプである。この種の人物を信頼しておかしいと気付いた時には、もう遅いのである。

以下、「大阿久尤児の本を作る会」責任編集 「詩人が新聞記者になった」収録
(原文 朝日新聞1997年1月5日社説より)

人を飛蝗にしてはならぬ―操られやすい民族感情―      大阿久尤児
遺稿集「詩人が新聞記者になった」収録
原文 朝日新聞1997年1月5日社説より

ある日、南の空に小さな雲が現れた。初めは地平線上に浮かぶ霞(かすみ)のようだったが、やがてそれが、空に扇形に広がる。
中国を舞台にしたパール・バックの小説 大地 に出てくる光景だ。
雲か霞かと見えたのは、実はバッタの大群だった。そのうち空は暗くなり、無数のバッタの羽音で大気が震える。これに襲われると、あたり一帯の農作物などがすべて食い尽くされてしまう。
生物学辞典に「飛蝗(ひこう)」の項目がある。トノサマバッタなどの仲間が、ときに大発生する現象だ。日本でも以前よく起きた。明治時代、北海道の十勝地方が襲われたさいの記録に「天為メニ暗シ」とある。
ふだん見るバッタは、単独で暮らす。一度に飛ぶ距離も二、三十メートルくらいだ。それが、飛蝗は十キロ単位で飛ぶ。
同じバッタに二つの顔
それぞれは長い間、別の種類と思われてきた。実は同種だと確認したのは、ロシア生まれの昆虫学者ウハロフだ。彼は、バッタが単独でいるふだんの姿を孤独相、大発生のときの様子を群生相、その中間の形態を移行相と名付けた。
孤独相のバッタは緑だが、群生相では黒ずんでくる。顔も四角張り、体は脂ぎる。同じバッタが、異なる顔をもつ。
人間界にも「人が変わったように」と言う表現がある。個人だけでなく、一つの社会や民族のような大きな単位でも、あるとき、その形相が変わることがある。
最近の例に、旧ユーゴスラビアで起きた内戦がある。ボスニア・ヘルツェコビナなどで、都市も村落も容赦なく焼かれた。死者は二十万とも言われる。
そこは昔から、客人を温かくもてなすことで知られた土地だった。人々は親切で、おおらかだったのである。それがある時、民族が違うといって殺し合う。どうして、そんなことになるのか。
再びバッタの話に戻る。
ふつうに暮らしていたバッタが、見た目にも戦闘的な群生相に変身するのは、干ばつなど、危機を迎えたときだ。
日照りで緑が枯れる。通常のように離れてすむ余裕がない。わずかに残った草むらに、えさを求めて多数の幼虫が集まってくる。彼らの出す分泌物が、ふんを通じて互いに相手を刺激する。
それが育つと、体色の緑があせた成虫になる。移行相の特徴だ。また二、三代を重ねて、最後は黒い群生相に変わり、新天地を求めるかのように、一斉に飛び立つ。
危機がバッタの相貌(そうぼう)を変えるのだが、人間の集団にもよく似たことが起きる。
第一次大戦後のドイツは、巨額な賠償を課せられて経済が破綻(はたん)し、ヒトラーの台頭を許した。戦前の日本も、極端な貧富の差などが軍国主義の土壌となった。
旧ユーゴでは、1987年当時の経済や社会状況が悲劇の発端となった。独特の自主管理経済は行き詰まり、対外債務もかさむ中で、国民の不満は高まっていた。
群生相になっては遅い
そこへアジテーターが現れる。悪いのは混住しているほかの民族だとたきつける。次々と
大集会を開き、民族感情の熱狂を利用して権力を握ったのが、セルビア共和国のミロセビッチ現大統領だった。
子供のころユーゴに住んだ英国の作家、イグナチエフ氏も書く「民族意識を煽(あお)る
ことを禁じたチトーの命を最初に破った政治家は、彼だ」と。(邦訳 民族はなぜ殺し合うのか)
この国は多民族国家で、常に分裂の危険をはらんでいた。だからこそ、戦後ユーゴの建国の父チトーは、民族主義を刺激する言動を厳しく禁じたのである。
その禁じ手をだれかが使うと、同類がすぐまねる。クロアチアのツジマン大統領もその民族主義で権力をつかんだ。
セルビア人とクロアチア人は先の大戦で敵として戦った。双方が当時の古い写真やフィルムを持ち出し、相手こそ残虐だと昨日のことのように触れ回った。
バッタの幼虫が、自分たちの分泌物で、互いを刺激し合うようなもので。国内の空気はたちまち険悪となった。
紛争には、国外にそれぞれ応援団もできる。その人たちが言う「セルビア人だけが悪者にされている」「セルビア人も民族浄化の被害を受けている」などと。
ある国に住んだことがあれば、その国の人を弁護したくなるのは人情だ。しかし、感情論はことの根本を見えなくする。
人間の集団も、それが「群生相」になってしまってからでは遅いのだ。
殺し合いがすでに始まった後で、双方の犠牲者を数え、どっちがどっちより、どれだけ悪いなどと比較して、何になろう。
そうなる前に、全力をあげて紛争のもとを絶つのが、政治指導者の最大の責任である。
それを怠るどころか、逆をやったミロセビッチ氏らの責任は重大である。
彼の強権政治を批判する声が、国内でようやく高まってきた。首都ベオグラードで、学生らの抗議デモが続く。国民のすべてが「群生相」になったのではない。流れに抗している人々をこそ、応援したい。
○堂々とした態度とは
日本の戦争責任についても、いわば自家製の応援団がいる。「日本だけが悪かったのではない」「自分を責める自虐的な歴史観だ」などという。
自分だけではないという自己弁護は見苦しい。しかられた子供が「ボクだけじゃないのに」とすねるようなものだ。
他国を侵略し、植民地にした国はほかにもある。当該の国で、心ある人々が、それぞれに歴史から教訓をくむだろう。
私たちも、自らの歴史をあるがままに見て、非は非として認める。自虐どころか、これこそ堂々とした態度だと思う。
特に好戦的な民族など、世界に存在しない。とりわけ平和的な民族がいるのでもない。みな同じ人間の集団である。
人は友好的にも、攻撃的にもなれる。お互いにうつろいやすい。属している集団の空気に染まりやすく、いったん暴走を始めると、止めるのが難しい。人間とはそういう存在だと、歴史が教えている。
民族感情をもてあそぶ動きには、最新の注意が必要だ。危うい小舟にみなで乗っているようなものである。わざとふなばたを揺する行為を許してはならない。
自然界のバッタは、危機が過ぎると、いつの間にか元の姿形に戻り、その辺をぴょんと跳ねたりしている。もとより、バッタはそれでいい。
人間の存在は、指導者たちだけに負わせてすむ問題ではない。それぞれに自覚があれば、「群生相」への刺激に簡単に染まらないですむはずだ。バッタとは、そこのところで差をつけてみたい。                             (了)

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