自戒の念を込めた、散歩をはじめました

 母は、力が入らなくなっている。物理的な問題だけでなく、心に力が入らない。父に先立たれ、喪失感からなのだろう。めそめそしたりしないけれど、ぼんやりと時をやり過ごしている。
 先日のnoteで、そんな母に散歩をしようと誘ったと記した。自分も、インプットがないとアウトプットできないとわかっていながら、家でうだうだしてしまう質。絶え間なく考え事がぐるぐるぐるぐる駆け巡るのを遮る手段としても、散歩は有効だろう。
 休日、母を誘って散歩し、ランチをして帰宅する。そんな機会を増やしている。ただ買い物するだけじゃ、味気ないし。

梅

 不動堂での散歩道。曇り空でも梅が満開で、気持ちが明るくなる。むかしから、冬空に浮かぶ枝ぶりが好きだ。葉脈、血脈、線香花火。張り巡らされている美しさ。

高幡不動

  お堂に過剰な艶はなく、一切のほこりもなく、華美な装飾もない。当たり前のように常にそうだけれども、常にそうあることって、難しい。私の姿も、心持も、平らであり続けることは難しいけれど、そのあたりを目指して生きたいなぁ。

駒木庭園

 民家を残したままの庭園は、年老いた母でも一周できる、ほどよい広さ。花は咲いていなかったけれども、冬には冬にしか見せない色合いがあるから、忘れないでおきたい。鳥が集う春も、鮮やかな花が咲く夏も、すべてが色づく秋もいいけれど。枯れる冬も、ただ時を待つ強さを教えてくれる、たいせつな時期なのだろう。

 と、歩きだせば体も心も温まってくる。そのあとのお昼ご飯も、ほどよくお腹がすいて、おいしくいただけたし。帰り道にたいやきを買って、お家でもほくほく。いいことばっかりでした。

 でも、だらだら過ごす休日も、捨てがたいんだけどね。

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