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誰かが体験した奇談。其十二『ふふっ』

友人が語る『ふふっ』

ずいぶん前になるけど、週に一回マンガを読みに小さな喫茶店に通っていたんだ。
本当に小さな喫茶店で、夜に客が2、3人という事もあった。照明は明るくなくて、テーブルは3つ、あとは大きな一枚板のカウンターがあって、なじみの客はそこで軽いお酒やジンジャエールなんか飲んでたな。
どちらかと言えばアルコールが似合っていたお店かもしれない。僕はコーヒー一杯で3冊くらい週刊誌を読んでたけどね。

ある日、黒いドレスのようなものを着ている女の人と、普通にジーンズをはいている若い男の人がカウンターでしゃべっていた。二人とも見たことはあったけれど、仲良くしゃべっているのを見たのは初めてだったかな。
マスターはグラスか何か拭いていて、二人の話をぼんやりと聞いていたようだった。口は一切挟まないでね。

マンガを一冊読み終えて、次の本に手を伸ばした時二人の話し声が聞こえた。
「僕もね、わかるんですよ」
「やっぱりそうなのね」
おやっと思って、マスターを見ると相変わらず表情に出さないで話を聴いているようだったが僕が見ているのに気が付いて、小さく首を振った。相手にしなさんなという感じだろうな。

「そうじゃないかと思ったんだ。私、霊感つよいから」
「分かりますよ」
ああそういう話をしてたのね。面白そうだから聞き耳をたてちゃったよ。
「僕も強いんです。ほら、今もね何がぞわぞわする。近くにいるでしょ」
「そうね。わかるのわ、男の人がいるわ」
「ものすごく肩が重いんですよ。ああ痛い」
「そうなのよね。でもね、こんなこと話しても誰も信じないでしょ。あそこに誰が立っているとか話しても、誰も見えないわけだし」
「分かります。分かります」
ナンパかな? そう思ったね。
「足先から、黒いものがさっきから上がってくるんですよ」
「そうなのよ」女が嬉しそうな声をあげた。
男は辛そうな顔をして肩をさすりだした。女は心配そうに、それでも嬉しそうな表情で男の顔をみている。

「ふふっ」
若い女の笑い声がした。直ぐ近く。
楽しそうな笑い声。
えっと思ってマスターを見た。マスターは相変わらず無表情で、椅子に座って本を見ていた。
霊能者たちは、お互いの身の上話に熱が入っているようで、聞こえていないようだった。

「帰るよ」
本を本棚に戻してマスターに声をかけた。
マスターは「ありがとうございました」と言って小銭を受け取っただけだった。

あの笑い声が聞こえたのはその時だけだった。





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