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ものぐさ生活史 2024年1月16日〜20日

1月16日

『Good Will Hunting』をNetflixで観る。
たぶん4回目くらい。何度観てもいい話だ。

カットの画も、セリフがなくて登場人物が表情だけで、立ち姿だけで語るシーンも綺麗。映画を観て思ったことは、人は死ぬし、自分のほんとうにやりたいこと、目を奪われるものを見つけたのなら、わき目を振らずにそのものを追いかけることの大切さだ。1人の人を愛することとその記憶は人生を豊かにすること。

映画の中では惚れた女の子に身体全体でぶつかっていくことを「その子を確かめに行く」って言っていた。
自分の全存在をかけて相手にぶつかること、上っ面ではなく、素直に自分を相手に差し出すこと。
これはかなり怖い。


かく言う俺も、「自分を見せる」っていうのが元々苦手だ。なんか分からないけど隠してしまう。

だけど、隠した分だけ自分が減ってしまう。

いやいや、大人の付き合いっていうのはそういうもんだよって言う声が聞こえてくる。それはそう。
自分を全部わかってもらおうとするのは傲慢だ。

でも、分かってもらうという見返りも求めずに、ただ自分を相手に差し出すのは何か、打算を超えた、人と人の関係性の原点?を感じる。

その瞬間に生じる高揚感とか、その瞬間にすべてを賭けるっていう気迫が、人を充実させたものにするってことはあると思う。こういう真剣さは面倒くさいし、人間を重く捉えすぎていて、むしろ幸せからは遠ざかる考え方かもしれん。

そんなことは考えずに軽く生きる、というのもいい。どっちがいいとかはない。

人生を重く捉えるか、軽く捉えるか。

重さと軽さはどっちもいいもんだ。人生が重いと歩けなくなってしまう。

1月17日

ほんとうにいい人になる。って思ったことが俺はどのくらいあるだろう。

漠然といい人になりたいとは思っているけど、それに向けて努力したことはないな。努力してる時点でいい人ではないのかもしれんけど。

まぁ、なんでいい人になりたいかっていうと、自己イメージの問題だな。
素敵な人になりたいっていう浅い理由。

世の中は自我と自我のぶつかり合いの闘技場みたいな面があるから、その中でいい人になるっていうのは素っ裸でコロシアムに出るようなもんで、必ず怪我をする。下手したら死ぬ。
だから、みんなある程度の武装をして世の中に繰り出すわけだ。ソルジャーだからな、みんな。
家を出たらコロシアム。物騒すぎるな。


コロシアムで思い出した。
ローマにあるコロッセオが気になったから調べてみた。これが闘技場のスタジアム。

コロッセオ

コロッセオが完成して100日間は朝から晩まで殺し合いと罪人の処刑がされてたらしい。怖すぎるだろ。
税金でこんなやばい施設作るローマ帝国怖すぎる。
それで「コロッセオ開幕の百日間」といわれるようになったと。

この期間に9000頭の猛獣、3000人の剣闘士が亡くなったらしい。猛獣もいたのか。人間の作ったシステムなんだから、犠牲になった猛獣はかわいそうだな。
単純計算で、1日で90頭、30人があの世行きの施設か。
イカれてるな。

閑話休題。

だから、いい人になるには世の中に対して、武装する以外の仕方で付き合う必要があるってことだ。
コロッセオで武装なしで戦うには、やっぱり交渉とか言葉を使って生きていかないといけないんだろうな。
多分即死するけど。

実際どうやって安全にいい人になれるのかってのはまったく分からない。

1月18日

演劇論が気になる。
最近聴いた歌詞で「コミュニケーションは演技力」って言葉があった。まさにその通り。

会話には「会話のコード」ってのがあるよな。予定調和な会話の流れってやつが。しれに沿った演技をするのがコミュニケーションだと最近は思ってる。

初めから「いい会話」や「適切な会話」なる雛型があって、その型にスムーズに着地するような演技をお互いする。その演技力がお互いに高く、波長が合っているとコミュニケーション能力が高いといえるんじゃないか。

演技力が高すぎる人(特に中高齢の女性)は、話していて接しやすい感じがあるけど、その実腹の底では何を考えてるのか分からない怖さがあるんだよな。
海千山千が過ぎると、得体の知れない人になって逆に信用が置けなくなる。

素直なじいさんはいるけど、素直なばあさんはいない。
女のベテランが素直なわけがない(偏見がすごい)。もし、素直なばあさんがいたら素直な演出をしているだけなのでは。そもそも、素直なまま歳を重ねることは難しすぎる。

じゃあ、男は?
素直なじいさんはいないのか。男はアンポンタンだからあり得る。素直に生き続ける男はいそう。

女のアンポンタンと男のアンポンタンにはあり得ないくらいの差があるんだ、と勝手に思ってる。

1月19日

今時のミニマリスト。スマホだけで出かける、みたいな記事をみた。
スマホだけで出かけるって言っても、スマホは機能の塊なんだからまったくミニマムではないのでは?と思う。パスモやら電子マネーやらInstagramやらありとあらゆるものが入っていて、一生見ていても飽きないくらいの中毒性のある電子機器を肌身離さず持っていてミニマムです、と言われてもな、、。

本来は何も持たないで、外に出歩くのがミニマリストなんじゃないのか。
一冊の本だけ持ち歩くとか。それなら憧れる。

作家のアンドレ•ジッドが「一冊の本だけ持って世界旅行に行く」と言ってたけど、結局我慢できずに大量の本を購入しながら旅をした話が好きだ。
読書狂なのに部屋には本が見えないように置いたというんだから相当めんどくさい人だったんだろうな。そんな奴が一冊だけで何日も過ごせるわけないやろ。そういう無謀な格好つけをする人間なんだから、ミニマリストもかわいく見える。

欲望の塊なのに、さも欲を無くしてますとスマホ片手に歩くミニマリスト。煩悩が服を着て歩いてる。

マンガを読む。
無性にマンガを読みたくなる時がある。普段全く読まないけど。
マガジンハウスの運営してるシュロという無料でマンガが読めるWEBサイトがあってそこを探索した。

最近のマンガは大作から絵がやたら上手いのやら短くてシュールなものなどたくさんの種類がある。Twitterを見ると4コマのおもしろいマンガが無料で見えたりしてすごくいい。
あと、Twitterの人たちは自分たちのことを漫画家よりクリエイターと言ってる気がする。
漫画は紙媒体だからWEB媒体の自分たちとは毛色が違うと思ってるからなのかな。
ちょっとその辺りは分からない。

自己規定は自己の範疇の限りは自由でいいのだ。

それで、マンガを読んでいて思うのは、本を読んでいる時よりものんきになれるということ。

本ってのは活字で論理が書いてあるからどうしても理論的な頭で読みがちになる。それって思考が狭くなってとげどけしくなる。

だけど、マンガは活字と絵があるから本を読む時とは少し違う脳の働きがあるんだろうな。なんかのんきな感じになる。話の流れも早いし。あんまり考えなくてもページが過ぎていく。電車に乗って窓の景色をぼーっと見てる感覚に似てる。

それで言えば、本は顕微鏡やな。物事の細部をゆっくり見ることができる。視野は狭くなるけど。マンガもたまに読むと癒されるな。

1月20日

ついに買ってしまった。
コンパクトデジタルカメラ。その名もGR III

最強のスナップシューターと言われてる代物を。メルカリで5万いかないくらいで買った。
いや、カメラ買うのも初めてで、なんならiPhoneでもあんまり写真は撮らない方なのになんでこんな大層な代物を買ってしまったのか。中古で5万って。新品だと12万くらいするやつ。高すぎるだろ。

でもTwitterでGRで撮った写真がめっちゃ綺麗で、こんな写真撮りたいなと思い始めてしまって、YouTubeの紹介動画なんかも観ていくうちにどんどん欲しくなってしまった。めっちゃテンション上がる。買い物して楽しいって忘れてた感覚だ。極貧生活があったせいで物を買う喜びを忘れていた。所有の喜び。
今だって金はそんなにないんだけどな。

最強のスナップシューター


…いや、待て。何かおかしいぞ。
なんかこのカメラ、GRⅢと若干デザインが違うぞ。
ん?待て。何か違う……

これ「GR Digital Ⅲ」って書いてあるやん。

調べてみると「GR Ⅲ」とは別物らしい。マジか。最新作が「GR Ⅲ」で「GR Digital Ⅲ」は10年以上前の旧式やん…

奮発して買ったつもりが全く違うものを買ってしまった。マジか。
ガーーーーーーン。

くっそ悔しい。だが、それが人生。

そんなこともある。
カメラ初心者だし、ずっと撮り続けるかも分からんし、そんな奴に「最強のスナップシュータ」を持たせるのが豚に真珠なんだよな。神様がお前には早いって言ってくれたんかな。

メルカリの出品者の人、一瞬パチモンくれやがったと疑ってごめんなさい。
俺の勉強不足でした。

まあ、写真は撮れるみたいだからこいつととりあえずはやっていくことにしよう。ああ、自分の堪え性のなさというか、基本的に金持ちのボンボン気質をやめたい。

てか、買ったはいいけど使い方も分からん。
充電の仕方すら分からん。

まあ、これから色々と動画でも見て勉強しよう。
いい写真撮りたい。
普段行ってないところとか行っちゃったりして。これですぐ飽きるのが怖いんだよな、、、。

基本的に自分のことを信用してない。


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