大川貴啓

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④扇町ミュージアムスクエアのこと

当時、大阪梅田の近くに、扇町ミュージアムスクエアという複合文化施設があり、フォーラムという劇場が、関西小劇場のメッカの1つだった。 (2003年3月、惜しまれつつ閉館) 今から思うと幸運なことに、三劇の先輩たちがこの劇場と交流があり、またHさんという前年まで三劇にいた方が、フォーラムではたらいておられたこともあって、よく出入りさせていただいた。 東京から次々と有名劇団が、フォーラム公演を始めた時期で、見習いで照明の仕事を手伝わせていただいた。 ざっと並べても、第三エロチカ

    • ③ 第三劇場

      三劇に入って、最初の仕事が「天界無宿」のスモーク係だった。 37年前、1986年4月、僕は芝居の裏方としてデビューした。 舞台照明で、光のすじをだすために使うスモークマシーン、(当時ロスコとかカーチスと呼ばれていた)オイルを気化させて煙をつくりだすのだが、この機械の扱い方を先輩Kさんに教わり、ダンスシーンなんかで、ガンガンにたいていた。うす暗い、ほこりの匂いのする上手ソデが、僕の最初の仕事場だった。 金土土日の4回の上演、少し緊張もしたが、劇団の一人として仲間に入れたうれし

      • ②同志社大学に入る

        1986年4月、ぼくは、同志社大学に入った。 早稲田政経、一文、同志社経済の3つを受験して 唯一、ここに合格したのだ。 浪人は絶対にしたくなかった。 ただ、同志社はこの年から、京阪奈学研都市の田辺に新キャンパスを開き、1,2回生の授業は田辺だった。とても不便だった。 入学して、何かのサークルに入ろうとキャンパス内を歩いていて、やたらと目についたのが、演劇サークルのポスターだった。 その中で、一番好みだったのが、第三劇場の「天界無宿」だった。 すぐに勧誘ブースに行き、入部希

        • ①僕の照明家としての軌跡

          4年前から、facebookで書いてきた文がある。 2023年、新年を迎えたこの機会に少しずつブラッシュアップして、再度このnoteに書いていきたいと思う。 ① 18歳から、舞台照明家として生きてきた。 自分の人生を振り返ると、関西小劇場界のいち照明家として、とても幸運な出会いが、たくさんあり、感謝しかない。 1986年4月、同志社大学に入学し、第三劇場という演劇サークルに入って 以来、さまざまな出会いがあり、37年、フリーランスの照明家として続けてこれた。 あらためて

        ④扇町ミュージアムスクエアのこと