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その瞬間、言葉が出ない・・・。

 小学校の教員をしています。自分が授業で実践してきたことや、日々の学校や子どもたちへの関わり方などについての気付きを発信していきます。みなさんの役に立ったら嬉しいです。よろしくお願いします。


 子どもの良いところを見つけた時に、うまく言葉が出ずに結局スルーしてしまう時があります。もしかしたら、そこでもっと子どもを褒めて、認めることができたら、その後の姿が変わっていったのかもしれないのに・・・。
 そう思うことが、つい先日ありました。

 先日、全校朝会がありました。いつもは時間に遅れないように、私が8時10分くらいに廊下に並ぶように声をかけて並ばせて、そして会場である体育館に連れて行きます。
 その日は、朝から交通安全指導の当番でした。指導が終わった後に、急いで教室にいけば間に合うのですが「もう6年生の11月。そろそろ自分達で声をかけ合って体育館に行けるようになっても良い時期だ」と思いました。
 私は、その日は黒板に
  ①朝会の開始時刻、
  ②8時10分になったらお互いに声をかけ合って廊下に並ぶこと、
  ③先生がいなくても体育館に移動すること
 その三つを書いて、後は思い切って子どもたちに任せることにしました。

 さて任せたとはいえ、不安な気持ちが無かったわけではありません。それというのも、今年度のクラスは時間に対してルーズな面があるからです。最悪、全校朝会に自分のクラスだけ遅刻して入るということも考えられました。ですが、いつまでも担任が体育館まで引率を続けていくことは子どもたちに、「あぁ、結局先生が教えてくれるから自分達で時間を気にしなくても良いな」ということを教えていくことになります。(いわゆる「ヒドゥンカリキュラム」です)
 それに勤務開始時刻前に教師が教室に行って、子どもたちの指導を始めることを、いつまでも続けていくことも、私自身の働き方として長続きしないという思いもありました。
 「最悪、ダメだった時には、先生方や全校児童に謝ろう」

 そう覚悟を決めて、交通安全指導が終わり、8時13分頃に教室に行ってみました。恐る恐る教室に行ってみると・・・。教室はもぬけの殻。誰もいませんでした。子どもたちは、きちんと自分達で時計を見て、体育館に移動をしていました! 
 私にとって、そして子どもたちにとっても成長を感じられる出来事でした。これまで、自分達だけで全校朝会に移動をしたことは無かったのに、それができたのですから!しかし、問題はその後でした・・・。

 教室に帰って朝の会の時に、そのことをどのように伝えたら良いのか、うまく言葉が思いつきませんでした。こういう日常的な出来事は、子どもたちにしてみると感動がなく、成長を大きく実感するようなことではありません。だからこそ、教師が子どもたちの良い行動を価値づけていけないのですが・・・。
「今日は6年生として、すばらしい姿だったよ。自分たちでできることが一つ増えたね」
 という言葉をかけました。悪くないとは思うのですが、でもよくよく考えてみると彼らの行動をもっと力強く価値づけることができたのではないかと、その日の放課後に考え直しました。

 ①時間を守ることができた。全校児童の時間を奪うことをしなかった。
 ②(後で子どもたちから聞いた話によると)体育館に着いたのは、全校の中で
  2番目だった。素早く行動できた。
 ③クラスの何人かが声をかけて時間を教えてくれた。
 ④その声かけを聞いて廊下に並んだ子たちがいた。協力できていた。
 ⑤子どもたちだけで体育館に移動したのは、全校で私のクラスだけだった。6年
  生として良いお手本を示してくれた。

 この日の行動には、たくさんの子どもたちの成長した姿、そして価値ある行動が秘められていたと思いました。それと同時に、即座にそれを見抜くことができませんでした。
 「鉄は熱いうちに打て」という言葉が示す通り、やはり良い行動があった直後に適切な声かけをした方が子どもたちの行動は変容しやすいと思います。それは分かっていたのに適切な声かけができなかったのは、それは自分の準備が足りなかったということに尽きます。
 普段から「なぜ自分は時間を子どもたちに守らせるように指導しているのか?」を考え、指導の目的とどのように伝えるのかを言語化して準備しておかないといけないと思いました。


 最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!もし面白かったら「スキ」や「コメント」をいただけると嬉しいです。自分にとって励みになります。



 

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