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20240819 +


 



 

 こんにちは。

 こんばんは。

 おはようございます。



 せっかく乾きかけてた洗濯物を、これを書いている間に降り出した雨に、うっかり濡らしてしまいました。



 皆さんの上の空模様につきましては、いかがでしょうか?


 

 私事ではありますが、今朝、朝顔の写真を投稿したので、少しだけ、朝顔のことを補足しておこうと思って書いてみます。



 毎年、なんとなく眺めていた朝顔でしたが、今年はひと味ちがいました。というのも、実は種を蒔く前に、こんな文章に出会ったのです。



 
 そもそも朝顔をこんなにも好きになったのは、『万葉集』に出てくる、ある朝顔の和歌に出合ったことがきっかけだった。その和歌をはじめて読んだとき、僕は脳天を叩き割られたような衝撃を受け、すっかり度肝を抜かれてしまった。


  展転(こいまろ)び
  恋ひは死ぬとも
  いちしろく
  色には出でじ
  朝貌(あさがほ)の花


歌意:身もだえして恋に苦しみ、死ぬようなことがあろうとも、はっきり態度に出して人には知られまい。朝顔の花のようには。

『平熱のまま、この世界に熱狂したい』
宮崎智之/ちくま文庫 p.59


 
 
 
 これは、作家の宮崎智之さんのエッセイの一節です。

 宮崎さんとの出会いは、今夏。ある日、ふと訪れた地元の本屋さんでのことでした。

 たまたま同年代の作家さんだったので、同じくらいの年の方がどんなことを考えているのかという関心と、帯を吉本ばななさんが書いていること、好みの表紙だったことなどが重なり手に取りました。

 そして、はじめましてにも関わらず、じわじわとその世界に引き込まれ、この朝顔のお話で、わたしは一気に宮崎さんのファンになってしまいました。

 というのも、宮崎さん、上に引用した和歌に出合って以来、ご自身でも夏になると朝顔を育てるのです。

 花をじっくり見ることで想像力を磨き、ただ自分だけがそう思うのではなく、一千年後の人にも伝わるような心象風景を描き出そうと苦心されます。

 そして、それが一朝一夕にはいかないことに気づき、嘆きつつも、昔の人の想像力の素晴らしさに度々言及し、自分に今できることは何かと締めくくります。

 わたしは、作家さんのそうした姿に、なんて素直な方なのだろうかと心を打たれてしまいました。そして、これまでと同じようには、朝顔の花を見ることが出来なくなってしまいました。

 今年、宮崎さんが朝顔をお育てになられたかどうか、わたしにはわかりません。

 でも、今、こうして秋の入口に立ちながら、去りつつある夏の日々をふり返ると、改めて、新鮮な彩りを与えてくださったことに心から感謝の気持ちを覚えます。


 宮崎智之さん、
 ありがとうございました!



















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