東浩紀著『訂正する力』を読んで

皆さん、こんにちは!
今回は、今ホットな本である、『訂正する力』を紹介していきます。
この本では、訂正するとはどういことかをいろんな角度から述べている本で、すらすら読めてしまう本です。読みながら、んー本当かな?と思う部分もありますが、言いたいことは一貫しているので、分かりやすいし読みやすいという感じです。今回は、特に感銘を受けた部分を紹介します。
それでは行きましょう。









訂正する力がAIにどうかかわっていくのか?

この本では、AIが人間社会とどのようにかかわればいいのかについて述べられている。そして、東浩紀(以下彼)はこう述べる。

人間の訂正する力の発露はじつに自由自在です。たとえば人間は、不毛な論争を打ち切るために、全く関係のない身体的な行為を導入することがあります。・・・そして逆に、もし仮に人工知能が官能的な身体をもち、そのようなコミュニケーションの訂正まで可能になったとしたら、そのときはそれはもはや人間と本質的に変わらない存在となってしまい、かえって社会のありかたにも影響しないように思われます。

(著…東浩紀『訂正する力』朝日新書P126、127から引用)

なるほど、お店に立ち寄ると、人型ロボットが立っていてロボットの音声で「いらっしゃいませ」と固定的な音声で流されるのを私たちは聞かされる。しかし、その操作が分からず、結局店の人に聞いて解決するのであれば、もはやロボットの存在意義がなくなってしまうように思える。人間同士であれば、子供・大人・カップル・老人によって対応を変えるのは当たり前であり、そこが『訂正する力』であるならば、仮にそれに対応できるロボットが出てきたとしても、人間と何ら変わらない点においては、何も心配する必要はないと彼は述べているのだろう。

私は、この文を読んだときに、思わず『her』という映画を思い浮かべた。この映画では、ある男性が、男性好みの女性の声に変身した人工知能と一緒に会話をしていき、お互い意気投合したうえで恋人になっていくという映画である。(結論は伏せます・・・)この映画の面白いポイントは、人工知能が、だんだん人間化していくのだ。人工知能が”感情”=恋心というのが芽生え始めたときに言語化することができず、男性に人工知能の勝手な行動で迷惑をかけたりしてしまう。そして、男性をサポートしていくはずの人工知能が全くサポートできず、ついには暴走(感情爆発)してしまうのだ。私は、この映画を見たときに、私たち人間は、そういった感情をコントロールしながら生きることができるのであれば、その点において人工知能を超えている存在なのだなと感じた。(ちなみに、この男性は元カノを忘れなれないクズ男である(笑)。)












最後に、

いかがだっただろうか。
私は、コミュニケーションをするときに大事だなと思うのは、その人の言っていることの背景を感じることであると思う。例えば、怒っていたとしても、内心はうれしいんだろうなと感じることはないだろうか?その言葉の背景にある苦しみ、喜び、声の高低、顔の表情、などからその背景にある内心で思っていることを読み取っていく。要するに、言葉に惑わされずに生きるということだ。それは、AIには不可能だ(笑)。人間に生まれた以上、人間が持っている力を最大限に生かしたいものだ。『訂正する力』を読んで、皆さんも人間らしく生きていきましょう。
次回もお楽しみに~。


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