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介護の仕事は恋愛に似ている

サービス付き高齢者向け住宅で、訪問ヘルパーとして働いている。勤務の日、私の心は忙しい。ドキドキ、ホッコリ、ガッカリ、キュンキュン。介護は私にとってまるで恋愛だ。

気分の浮き沈みがあるタマエさんは、抱きしめたくなるほど可愛くなったり、不穏なムッツリになったり。訪問するときは、(今日はどうかな)と緊張する。「お食事お持ちしました~♪」と強引な笑顔で踏み込み、人懐こい目線を返してもらえると、(やった!)とうれしくなる。

明るく華やかなユウコさんは、シャワー前は大抵「今日は体調が……」と憂える美女に。けれど、実際浴び始めると必ず「あ~、気持ちいいわ~」。しみじみ言うその様子に、こちらまで癒される。

最近担当になったフジコさんは、きれいな顔を歪め「シャワーはイヤ!」と完全拒否。何を言っても不機嫌に返され、清拭も服から出ている部分が精一杯。こんなときは、内心盛大にへこむ。痛かったのだろうか。冷たかったのだろうか。それとも私のことが嫌いなのだろうか。まさに失恋の気分だ。

掃除中に武勇伝を聞かせてくれるタケヨシさんは、終了時、いつも力強く「ありがとう!」と声をかけてくれる。その言い方が部下を鼓舞するエールのようで、(ようし、次も頑張るぞ!)とついつい乗せられてしまう。先日は「毎日でも来てほしいくらいだ」とオマケがつき、私は舞い上がった。だってそれは、毎日会いたいってこと。告白されたも同然だもの!

「高齢者」とは、私とは時間軸がずれている人のこと。違いは、私より何十年か先に生まれたことだけだ。もし、同じ時間軸で、同世代で出会ったなら、この人は私を友達にしてくれただろうか。いつもそんなことを考える。

外見の白髪やシワや円背などが目に入ってくるのは、出会って初めの数回まで。外見を見慣れてしまうと、なぜかそれらは目に入らなくなり、見えるのはその人の目と、そこから読み取れる人格や感情だけだ。すると、甘え上手な末っ子や、面倒見の良いお姉さん、育ちのいいお嬢様、やんちゃな正義漢、悪びれてみせる真面目な少年など、若者よりずっと濃いキャラが見えてくる。

その無形の個性に多少なりとも惹かれてしまったら、もうこちらの負け。私のことを好きになってほしくなる。私を嫌な人と思ってないだろうか。今日のご機嫌はどうだろう。心を開いていてくれるだろうか。まるで、片思いしているみたいに、相手の気持ちが気になってしょうがない。

表情で、言葉で、スキンシップで、好意を示してもらえたときは、至福の瞬間だ。相思相愛は、意外と頻繁にやってくる。そんなときは、ダメダメな自分をちょっぴり好きになる。利用者さんの発する「好き」が外から輪郭を縁取ってくれるから、私は自分の形を再確認し、しっかり立つことができている。

(文中すべて仮名)

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