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海外旅行の記録~インド(ラダック②州都レー)

今日は月曜日。
私が住んでいる地域のスーパーは、月曜日が空いている。
雨も降っているので、さらに空いているだろうと考え、レジに並ぶのが嫌いな私は、朝のうちに買い物を済ませました。

明日から小学校の春休みになるので、2週間ほど孫を預かります。
孫が好きな、パン・ジュース・冷凍食品を買いました。
せわしない毎日になるので、noteの投稿が途切れるかも知れません。

インドと言えばヒンドゥー教ですが、ラダック地方の人々はチベット仏教を信仰しています。 チベット文化圏の西端だと思います。
第二次世界大戦後、毛沢東はいち早くチベットを占領しました。
傀儡のダライラマを置こうとしましたが、ダライラマはインドに亡命したのです。
ラダックの人々にとって、ダライラマは生き仏です。
ダライラマが来るとなると、3万人の町が30万人になるくらい人が集まります。
人々は時間があるとマニ車を回しています。
マニ車を回すと、お経を読んだのと同じ功徳なんだそうです。
日本人が忘れてしまった生活が、ここには残っています。

さてレーで朝を迎えると、だいぶ息切れもマシになってきました。
標高に順応してきたようです。
町を散策していると、住民が「ジュレー」と挨拶してくれます。
「ジュレー」は万能の単語です。
朝晩の挨拶、いいよ、などいろんな場面で使えるので、私は「ジュレー」を連発していました。

レーはチベット仏教の町ですが、イスラム教徒も少しいるので、アザーンも聞こえてきます。
イスラム教徒の国、パキスタンはすぐ隣ですから。

ラダックは乾燥地帯です。
日本人は冬の乾燥くらいしか知りませんが、レベルが違います。
外気温が35度くらいでも、室内は寒いくらいです。
ゲストハウスのシャワーは温水ではないので、「水ごり」の修行しているようでした。
日のあるうちにシャワーを浴び、すぐに服を重ね着してしのぎました。
1週間もすると、かかとがヒビ割れてくるのです。
ハンドクリームを持ってなかったので、かかとにリップクリームを塗ってみたりしたのです。
夜洗濯した下着は、朝には乾燥しています。 これは助かりました。

シェーとヘミスを案内してもらいました。
ガイドさんは日本人女性と結婚し、コロナ前までは東京に住んでいました。
シェーが実家なので、家に上がらせてもらい、チャーイとビスケットをいただきました。

シェー王宮とヘミスゴンパを見学しました。
ゴンパというのは「お寺」のことです。
ヘミスゴンパに親戚の方がいて、チャーイとお供え物のお菓子をいただきました。

インダス川を利用した、小麦畑が多いです。
記念にインダス川で、バシャバシャと洗顔しました。
急流なので、ガンジス河のように沐浴しようとすると溺死すると思います。

レーに戻ってきて、町はずれのチベット難民キャンプに行きました。
中国から逃げてきた人々が住んでいます。
定住してから時間もたち、インドからもらった家を売却する人も出てきて、問題だと言ってました。

シェー王宮
マニ車
ヘミスゴンパ
お墓、土が素材なので、数年で崩れます。
チベット難民キャンプの巨大なマニ車
難民キャンプ
携帯マニ車
駄菓子屋さん


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