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孤独を楽しむ暮らし🌱#3

私の1日/哲学から学んだこと

毎朝、6時に目が覚めます。
夜にサッと箒でお掃除を済ませてあるので、朝気持ち良くスタートできます。起きるとまず、YouTubeをつけて、ナチュラルな音楽を流します。ネコのご飯とお水を用意したら、歯磨き・洗面、軽くメイクをして身支度を整えます。
お茶とコーヒーの支度をして、一日が始まります。コーヒーを飲みながら、好きなエッセイ本などパラパラ読んで、それからお勉強の時間になります。私は朝が一番パフォーマンスが高いので、勉強は朝がいいのです。

私の勉強は、本を読んでノートにまとめていくことです。言葉拾いのようなことが好きで、気に入った言葉を書き写していきます。むかしから、小冊子を作ったりするのも好きでした。人から見たら、何が楽しいのか分からないと思いますが、これが楽しいのですね。
今は“アランの幸福論“を学んでいます。60歳で初めて哲学と出会いました。カント、アドラー、ニーチェ、フランクル、エピクテトス、そしてアランの幸福論と続いています。

アランの幸福論は、さまざまな生活の場における幸福についてのコラムです。日常生活においての幸福への指針のなかに、普遍的なヒントがたくさん書かれています。何気ない日常的な言葉で綴られていますが、言い回しがフランス的というか、分かるようで分からない感じで、3回読み返してようやく、ああそうかと、少しずつわかってきました。アランの幸福論と出会って、ひとり暮らしの孤独が怖くなくなりました。この本は、一家に一冊あれば、いろんな問題を避けられる。人生に必要なことがすべて書かれていると思います。本当にオススメの本です。

勉強は何時間と決めてるわけではなくて、ひと通り区切りがついたら、それで終わりにして、あとはハンドメイドをしたり、X(Twitter)をしたりして、9時までにはだいたいのことが出来ます。
2年前くらいにファスティングを初めて食事は1.5食にしてるので、朝はほとんど食べません。いつもお昼がメインです。ひと通り家事をすませたら、買い物とかを兼ねて歩きに行きます。歩いて30分くらいの所に安い八百屋さんがあって、公園のなかを歩いて行きます。

お肉や魚、その他の日用品が必要になったら、別方向のイオンに行きます。用事をしながら歩くのが好きです。歩きながら考えごとをまとめていくので、健康と頭の整理の一石二鳥なのですね。
帰ってきたら、お昼ごはんにします。一日のメインの食事になります。特に制限とかしてなくて、なんでも食べたいものを食べます。お肉や魚と野菜を食べるようにしていて、お米、麺類も食べます。おやつは豆腐もちや豆腐蒸しパンを手作りして、粒あんを添えるのがお気に入りです。市販のお菓子やアイス、ゼリーなども食べます。夜はお茶漬けやサラダとかで軽めに済ませます。ビールや梅酒など、お酒も時々飲みます。

ひとり暮らしになって、食事の支度に時間を取られることがなくなりました。自分ひとりなので、何を食べるのか自由だし、食べても食べなくてもいいのです。
以前は、毎日夕方にスーパーに行って、いろいろ買ってきてと忙しかったのですが、夕方の時間をゆっくりと過ごすようになりました。これもひとり暮らしの良いところですね。夕方から夜は、YouTubeを観たりしてゆっくり過ごし、10時過ぎにはベッドへ。ネコも一緒に寝ます。ネコも早寝早起きです。こんな感じで、毎日をゆるく過ごしています。

夫から別居の話が出たとき、私は混乱していました。信仰的な観点からの考えに囚われて、身動きできないような感じになっていた私に、息子からカントの本を読むように勧められました。60歳で初めての哲学との出会いでした。
ただ、カントは哲学の中でも難解とされていて、元々読書好きでしたが、これまで使ったことのない方の脳を使う感覚で、うんうん唸るようにして読み進めました。何度も読み返して、それまで意識していなかった自分の認識について、遡るようにして考えるようになりました。

人は見ようとするものだけを見る。人間が経験する世界がどのように見えるかは、人間が持っている認識の仕組みに依存している。私たちは、それぞれの主観を生きていて、世界は各人の主観が捉えた世界にすぎないということ。
カントは、私たちが日常生活では意識することのない、認識の仕組みを問うているのです。私たちは、自分の経験と思い込みで物事を見がちで、思い込みというのは、まわりの環境で作られていることが多く、それを“自分の考え“としてしまっている。

私はこれまでずっと、信仰の世界で物事を考えてきて、教えられたことをそのままインストールして、それを自分の考えとしていたことに気づいたのです。
与えられたモノサシで物事を考えていた。ちゃんと自分で考えて、自分のモノサシをつくることが大事なんだということに気づいたのです。
カントは、「どんな人も自分なりのルールをもっているけれど、それが自分勝手なものになっていないか、絶えず吟味しつつ行動しなさい」といっていて、そこで私はハッとなりました。
誰でもそれぞれ前提条件があり、それは一人ひとり違う。私は、自分の前提条件を夫にも求めていたのだと。

カントを読んで、この2つの気づきを得たことは、私にとって大きな学びでした。それまでの私は、見たままを一つの視点でしか見ておらず、それは普段意識しないで生きていると、知らず知らずのうちに陥ってしまう、ある意味で信仰の落とし穴といえます。これまで37年間の信仰生活で、対処できなかった問題がここにあったのです。一つの考えに囚われ、視野が狭くなって、身動きが取れなくなっていたことに気づき、固まっていた思考が少しずつ解かれていきました。

でもそれは、カントの本を読んでみて、息子と時間をかけて話をするなかで出来たことでした。ともすると、感情で考えてしまい、ぐるぐるとループしてしまう私を根気強く、理屈ではこうだよねと、何度も話を聞いてくれた息子のサポートがあったからでした。
これは、信仰を単純に否定するものではなく、別の視点から考えていくのも大事だということです。カントも「よりよく生きる」ためには、神のような存在が要請されると主張しています。道徳的に正しく生きることを支えてくれるのが、「信仰」であるといっているのです。

重要なのは、一つの視点のみに囚われすぎないようにするということと、信仰で解決できるものと、そうでないものを分けて考えるということです。バランス感覚が大事ですね。
60歳で哲学を学び、それまでの自分の考え方の「偏り」に気づき、物事をフラットに見られるようになっていきました。そうやって、別居・離婚問題を、前向きに受け入れることが出来たのです。
もっと早くに哲学を学んでいたら、私の人生は違っていたかもしれません。でも、気づかずじまいではなく、60歳で出会えて良かったとも思うのです。

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