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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(4)神奈川宿→戸塚宿
こんにちは。ぽん太です。江戸時代の1日目の終着地の戸塚に3日目にして到着しました。まだまだ歩みが遅いです。
旅日記
2022年3月5日、仕事で忙しいところではあったが、天気予報によれば今日は最高気温が19度まで上がるということで、東海道歩き旅に出かけることに。
10時前JR横浜駅を出発。沢渡中央公園まで戻って交通量の少ない旧東海道を歩くと洪福寺松原商店街に入る。
商店街は活気があり、今日はここでお弁当を調達。今日はポカポカ陽気で、梅の花もほころび、すっかり春気分だ。
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相鉄天王町駅近くの旧帷子橋跡あたりから旧保土ヶ谷宿の雰囲気が始まる。広重の絵にも出てくる帷子橋だが、現在は川はなく、橋をイメージした道が残されている。
少し先には、金沢横町道標4基が現る。字は判別しづらいが、東海道、金沢八景、浦賀、金沢道への分岐点に置かれていたものらしい。
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11:30 旧東海道の突当りの1号線との合流地点に何やら古い建物が見えてきた。「本陣跡」とある。てっきり建物もそうかと思ったら、どうやら門だけが当時から残されているものらしい。
本陣は、大名・幕府の高官・公家・勅使など身分の高い人が宿泊する宿のことで、脇本陣は本陣に先約があった時の本陣の代用となる宿のことだ。(その後実際に東海道を歩いてみて、完全な本陣・脇本陣が残っているのは、二川宿本陣・草津宿本陣・舞坂宿脇本陣だけであった・・・)
また、近くにはかつて一般の人々が宿泊できた旅籠跡もある。こちらは建物ごと昔からのもののようで、趣深い。どうやら現在も住んでおられるようで、管理もさぞかし大変なんだろうな。
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少し先には川沿いに旧一里塚跡・松並木などもある。このあたりの雰囲気もすばらしい。
ここで、先ほど買ったお弁当を食べ、権太坂の登りに備える(11:50~12:15)。
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昼食後そのまま国道1号線沿いに歩いていたため少し道を間違ってしまったが、旧東海道に戻り、権太坂へ。かつては江戸から西へ向かう旅人にとって初めてのきつい登りだったそうだ。
しかし今の権太坂は割と緩やかな坂で、少し先から見渡せるランドマーク方面の眺望はすばらしい。
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その後焼餅坂を下ると、品濃一里塚跡に到着(13:15)。ここは日本橋から9里(9×4キロ=36キロ)の距離にある。一里塚とは、日本橋を基点に、五街道に一里ごとに塚を設けたもので、多くは塚の上にエノキや松の木を植えて、旅人にとって距離の目安になっていた。
その多くは取り壊され、石碑などで知るしかないが、このように保存されているものもある。品濃一里塚は今まで歩いてきた中で、道の両塚とも保存されている貴重な一里塚跡だ。
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途中、名前につられて「平戸みはらし公園」に寄り道。本当に見晴らしのよい公園であり、ミカンを食べて英気を養う(13:30~13:45)。
その後旧街道に戻り、品濃坂を下り、環状2号線の歩道橋を渡り、ひたすら川沿いの道を歩き、東戸塚駅入口交差点に出る。
結構疲れてきたので、コンビニで小休止(14:30-14:45)。CCレモンとハーゲンダッツでエネルギー・チャージ。やっぱりこれに限る。
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そうこうしているうちに旧戸塚宿に入ったようで、古い蔵や倉庫なども出てくる。そして江戸方見附跡現る。見附というのは見張り場のことで、当時、西側を京方見附、東側を江戸方見附と呼んでいた。
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広重の絵にも出てくる吉田大橋を越えると、もうJR戸塚駅だ。今日はこれにて終了(15:30到着)。帰りは湘南台のスーパー銭湯「らく」に立ち寄ることに。やっぱり歩いた後のお風呂はいいもんだ。
江戸時代の人は、日本橋から戸塚まで1日で歩いていたのだと思うと昔の人の基礎体力に驚きを禁じ得ない。でも、無理をしないことが大切。私は私でボチボチと行くとしよう。
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記録
総歩数:30,028歩
実際歩いた距離:18km
訪れた宿場:保土ヶ谷宿・戸塚宿
宿泊:なし
銭湯:湘南台「らく」
本日の行程
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広重の絵
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手前の橋が帷子川(現在の今井川)にかけられた新町橋。そこを虚無僧や供を従えた駕篭が渡っている。向かい側からは集団がやってくる。橋のたもとには「二八」と書かれた蕎麦屋の横で女が立ち話をしている。保土ヶ谷の日常の風景を描いている。
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戸塚は江戸より約十里の地点で多くの旅人が最初の宿として利用した。一日の旅を終えた旅人の姿が伺える。「こめや」は大山講や百日講の看板があるように講(巡礼グループ)の定宿であった。吉田橋のたもとには「左かまくら道」の道標がある。
(出典)
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