変わり続けないといけないのに変われない私について

私の高校の頃の夢は、
近くにイチジクパイの美味しいケーキ屋さんかある縁側のある平屋に住んで、
亀を飼って、グランドピアノを置くこと。
できればちょっと気候の温暖な場所で。

中学2年生の頃の夢は、
音楽関係の仕事につくこと。
もしくは
赤ちゃんポストで働くこと。これは注射が怖くて1ヶ月でやめた。

小学生5年生の時の夢は、
母親になること。

小学校2年生の時の夢は、
音楽の魔法使いになること。
今日はどんな楽器を弾こうかな、どんな曲を弾こうかな、そんなワクワクを持った音楽家になること。


夢、というか、理想をいろいろ抱いた結果の今があるわけだけども、
当時良いとされていた、理想的なものの一部は、この現代社会ではただの「ロマン」にしか過ぎなくなってきている。

例えば平屋。
土地の面積が多いと基礎工事代も所得税がかかる、損な物件だ。
グランドピアノもそう。
音楽家かお金持ちの象徴で、あんな大きな楽器の音を許す音環境は都市部ではほぼ幻想に近い。趣味でピアノが好きな人が買う楽器ではなく、家の防音ごとセットで買わねばならないのだ。

赤ちゃんポストだって、かかわる人は法律から外れたことようなことをしていて、必ずしも真っ直ぐ生きることが社会的に正しいということでもない。

私が今、幸せに生きるためには、
価値観や物の考え方、理想をアップデートする必要があるかもしれない。
それでも諦められない理想や価値観もある。


仕事でいうと新卒で入社すれば、道に迷うこともなく退職まで安定して生きていけると思っていた。
蓋を開けたらそんなことはなかった。
子ども2人育てるだけで生活は厳しく、
仕事だっていつ倒産するか、退職までに事業が変わるかなんてわからない、ストレスフルなものだった。そのまま会社でぬくぬく生きるなんてことはダメで、常にスキルアップを自ら行なっていくべき社会では市場価値の高い人材が求められている。

私は学ばないといけない、スキルアップしないといけない、そうしないと何も叶えられないままこの世を去ることになってしまう。

まだ何も叶えられてないのに。
変わることもできない。
頑固親父のように、新しいものを受けいられない。
変わらなければいけないということがどれだけ億劫で、不愉快なことなのか。残念なタイプの平静に取り残された人間だ。

アップデートとできますように、私。

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