古蕃 盤

現在の音楽、映画、文学などの表現について

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現在の音楽、映画、文学などの表現について

マガジン

  • 表現の心性

    音楽、映画、文学などの<表現>といわれるものから、そこに感じられる心性といったものを言葉にしてみた。

  • 過去形の現在

    <現在>を過去のように眺めると<現在>はどのように映るのか、言葉にしてみた。

  • 共感的映画論

    好きな映画や監督、俳優などについて、共感的に語ってみました。

最近の記事

共感的映画論◌映画『ディア・ハンター』(2)

 この映画で描かれる「ニック」という人物は、自分が置かれた、当時急速に崩壊へ向かいつつあった南ベトナムの剥き出しになっていく現実の空気を、他にどうしようもないように、そのまま深く呼吸する。  俳優のC・ウォーケンもまた、この人物をそうとしかありえないように鮮烈に演じている。  なにかに踏みとどまりながら、心もとなげに、その危うい歩みを重ねていくような、C・ウォーケンの演技によって、この映画に描かれる<現実>(「ニック」と彼をとりまく)は、おそらく、より身近でリアルな息づかい

    • 共感的映画論◌映画『ディア・ハンター』(1)

       1973年のベトナム戦争の終結後も、この戦争を扱った映画が、数多くアメリカで製作された。  その多くは、アメリカ側からの視点で描かれたもので、そのような指摘もなされた。  1979年に公開された映画『ディア・ハンター』もそのひとつだが、この映画を、登場人物のひとりである「ニック」という人物に焦点を当てて観てみると、そこには、そうした視点といったものを超えた、人間というものの悲劇が浮かび上がる。  「 ニック 」という人物をたとえば、彼が戦争で戦った北ベトナムの兵士に置き替え

      • 共感的映画論❍映画監督 ウディ・アレン

         ウディ・アレン(woody allen)が監督した映画のほとんどは、皮肉とユーモアをちりばめた、いわゆる、コメディ映画である。  彼にとっては、人間というのは、”コメディ”としてしか表現のしようのないものなのかもしれない。 そして、撮影カメラをのぞく彼の眼は、恋愛や家族といった親密な関係において、どうしようもなく誤解や対立、憎しみ、孤独を深めていく、ひとりひとりの人間の姿を縁どる悲しいまでもの滑稽さを見つめながら、その滑稽さ(コメディ的なもの)の向こう側にある、個々の人

        • 共感的映画論

           そのときがいつ訪れるかわからないが、思いがけず、観終わった時に、「いい映画だったな」 といった思いが、ゆっくりと胸の奥に深まっていくような映画に出会うことがあります。  おそらくこの時、わたしはその映画で描かれた<現実>を観るということによって、ひとつの実現された <イメージ> を共感的に受け取っているのです。その<現実>の地面に立って、そこの空気を呼吸しているような感覚になって。    日常の生活では、たいていは、実現されることなく中途半端なままうやむやに立ち消えてしま

        共感的映画論◌映画『ディア・ハンター』(2)

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        • 表現の心性
          1本
        • 過去形の現在
          0本
        • 共感的映画論
          4本

        記事

          表現の心性∥<現在>であるために

           この世界に<作品>(曲)として生み出されたポピュラー音楽のこの世界での存在条件の基本は、いつの時代も変わりなく、”より多く売れる”ことである。  そして、その作品(曲)が宿している意図は、その曲の作り手の意図とは関係なく、いつの時代も変わりなく、”より多く売れたい”である。  現在、日本において、最新のコマーシャルやドラマや音楽番組などのメディアを通して届けられる、最先端に在るといわれる音楽に共通しているのは、「なにもない」感覚である。  それは、「なにも表現していない」

          表現の心性∥<現在>であるために