古蕃 盤

現在の音楽、映画、文学などの表現について

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現在の音楽、映画、文学などの表現について

マガジン

  • 共感的映画論

    好きな映画や監督、俳優などについて、共感的に語ってみました。

  • 表現の心性

    音楽、映画、文学などの<表現>といわれるものから、そこに感じられる心性といったものを言葉にしてみた。

  • 過去形の現在

    <現在>を過去のように眺めると<現在>はどのように映るのか、言葉にしてみた。

最近の記事

共感的映画論◦映画『ディア・ハンター』

 1973年のベトナム戦争の終結後も、この戦争を扱った映画が、数多くアメリカで製作された。  その多くは、アメリカ側からの視点で描かれたもので、そのような指摘もなされた。  1979年に公開された映画『ディア・ハンター』もそのひとつだが、この映画を、登場人物のひとりである「ニック」という人物に焦点を当てて観てみると、そこには、そうした視点といったものを超えた、人間というものの悲劇が浮かび上がる。  「 ニック 」という人物をたとえば、彼が戦争で戦った北ベトナムの兵士に置き替え

    • 共感的映画論

       そのときがいつ訪れるかわからないが、思いがけず、観終わった時に、「いい映画だったな」 といった思いが、ゆっくりと胸の奥に深まっていくような映画に出会うことがあります。  おそらくこの時、わたしはその映画で描かれた<現実>を観るということによって、ひとつの実現されたイメージを共感的に受け取っているのです。その<現実>の地面に立って、そこの空気を呼吸しているような感覚になって。    日常の生活では、たいていは、実現されることなく中途半端なままうやむやに立ち消えてしまう、”自

      • 表現の心性∥<現在>であるために

         この世界に<作品>(曲)として生み出されたポピュラー音楽のこの世界での存在条件の基本は、いつの時代も変わりなく、”より多く売れる”ことである。  そして、その作品(曲)が宿している意図は、その曲の作り手の意図とは関係なく、いつの時代も変わりなく、”より多く売れたい”である。  現在、日本において、最新のコマーシャルやドラマや音楽番組などのメディアを通して届けられる、最先端に在るといわれる音楽に共通しているのは、「なにもない」感覚である。  それは、「なにも表現していない」

        • 統計的な存在とAIの声

           AIの心性化が人間性のAI化と交差するのは、それとも入れ替わるのはどの地点なのか。現実(リアル)と空想(ヴァーチャル)を分別する実体としての存在、いつか死ぬ存在であるという実感を失ってしまう境界は。  人間が、AIの心性化を行うのは、誰でもない者の声を聞くためである。特定の人の声ではなく。  特定の人の声というのは、ある意図(下心)のにおいがする。どこかうさんくさく感じられてしまう。その意図を裏切るように。  それが誰でもない者の声にすると、そこには不在という神的なものの存

        共感的映画論◦映画『ディア・ハンター』

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