古事記❗日本の神話❗後編
こんちにわ❗
今回はいよいよ神道シリーズ、最終回となってます❗❗
前回までを軽く復習しましょう!
前編では
イザナギ、イザナミが国を生み、
その後3貴士アマテラス、スサノオ、ツクヨミが誕生し、アマテラスを主人公とした物語を紹介しました❗
(まだ見てない方ははこちらからから♪↓)
中編ではスサノオを主人公とした八岐大蛇を退治し、草薙の剣を手に入れる物語。
その後、今もある出雲大社の起源となるオオクニヌシの国造りから、天津神への国譲りの物語を紹介しました❗
(まだ見てない方はこちらから♪↓)
そして今回後編では、オオクニヌシがおさめていた国を譲り受けた天津神。
その地を任されたアマテラスの孫、ニニギの物語から、初代天皇神武天皇までの物語を紹介していきます❗⛩️
それではいきましょう❗❗
ニニギの物語
天孫降臨
オオクニヌシからの国譲りを達成した高天ヶ原に住むアマテラス。
アマテラスはその地に自信の孫、ニニギを送り、三種の神器を持たせ、統治を任せます。
これを天孫降臨といいます。
地上に降り立ったニニギ。
コノハナノサクヤヒメという美しい女と出会い、さっそくその女の父に結婚の承諾を得にいきます。
(遊びにいってるのでしょうか。笑)
すると、父は1つ条件をつけます
「コノハナノサクヤヒメの姉、イワナガヒメも一緒に嫁いがせてもよろしいですか?」
ニニギは了承し、父は結婚を快諾します。
ですがこのイワナガヒメ、あまり見た目がよろしくなく、しばらく暮らした後、ニニギは
「私が愛してるのはコノハナノサクヤヒメです。申し訳ないがやはりあなたとは結婚できません。帰っていただけますか?」
といいイワナガヒメを実家へ返します。
これに怒った二人の父は言います。
「コノハナノサクヤヒメには花のような栄華を、イワナガヒメには永遠の命を願って嫁がせたのに1人を返すとはあなたには失墜しました❗イワナガヒメを返されたのですからこれか、あなたのご子息には天津神のような永遠の命はありませんぞ❗」
といわれます。
この事がきっかけで以降生まれてくる子孫は、永遠の命ではなくなりました。
この物語は天皇一族は、天津神の末裔なのになぜ寿命があるのか?
という矛盾をなくす為に作られた物語だとされています。
初代天皇神武天皇の物語
神武の東征
ニニギの曾孫にあたるカムヤマトイワレビコ、後の神武天皇の物語です。
カムヤマトイワレビコは四人兄弟の末っ子で、兄弟と共に今の九州にあたる地域で国を統治していました。
ある日、
「近ごろ中つ国(日本の近畿地方らへん)に神を敬わない者がでている。ここ九州では全国に目を光らせるのに不便だ。東の大和(現在の奈良)へ東征にいって、拠点をそこへ移そう!」
となり、長男のイツセとともに今の九州から奈良へと東征に出掛けました。
これが神武の東征といわれます。
道中、たくさんの人々に天津神の子孫としてもてなされると同時に、様々な反発勢力に遭遇し、それを撃退していきます。
今の神戸の辺りまで進んだ時、トミナガスネビコという反対勢力と戦い、勝利するも、兄イツセが負傷してしまい、亡くなってしまいます。
この時、
太陽の方向に向かって進んでいたのが、
「太陽の神、アマテラスに逆らう行為なのでは?」
と考え、神戸からそのまま直接陸路で大和(奈良)に向かわず、海路を使って遠回りして大和(奈良)に向かいます。
このことが功を成したのか、ある時、タカクラジというアマテラスの使いがやって来て、霊刀と神のご加護を与えられます。
八咫烏という導きの神に導かれながら、道中様々な国津神や民たちを配下に置いていき、ついに目的地大和に到着します。
大和に到着すると、ニギハヤヒという神がカムヤマトイワレビコを待っていました。
「あなたが大和の地に来る聞き、お待ちしておりました。あなたが天津神の子であるとこを証明する玉を献上いたします。これでもうこの国はあなたの手中にございます。」
こうしてカムヤマトイワレビコは畝傍山の麓に都を置き、初代天皇神武天皇として即位し、大和に強大な政権を築きました。
その後の古事記
711年、43代元明天皇が古事記の作成を命じた時、政権の中心地は大和(奈良)にありました。
おそらく、その当時の政権の歴史が深いことを示し、権威を民達に示すため、この物語が作られたのでしょう。
紹介するのはここまでですが、この後も日本中を無双する12代景行天皇の子、ヤマトタケルの物語等たくさんのおもしろい話が続きます。
21代雄略天皇の物語以降から、徐々に物語性が薄れていき、ただ天皇の経歴がつらつらと並べられているだけの記述になっています。
(神話の物語と、実在が証明されている天皇までの繋がりをあえてぼかしているのではないかと言われています。)
そしてその後、33代推古天皇までをもって古事記は幕を閉じます。
文化庁の日本の宗教の割合についての調査では、約48%、ほぼ半分の世帯がこの神道を信仰しているという結果になっています。
仏教が、約50%ですので、その他の宗教も色々ありますが、日本のほとんどの世帯が仏教と神道ということになります。
みなさんも一度、自分の家の宗派を確認してみてはいかがでしょうか?もしかするとその先にはとてもおもしろい物語があるかも知れません。
まとめ
三部にわたって紹介しました古事記のストーリー、いかがだったでしょうか❓️
古事記ではたくさんの神様の名前がでてきます。
正直、紹介した物語の中でもまだたくさん神がでてくるのですが、ややこしくなりそうなので省略しました。
その他今回紹介してないない物語にでてくる神様を合わせるととてもじゃないですが覚えきれません。笑
ですがなぜ、このようにたくさんの神が登場するのか?
というのには理由があります。
中編で紹介したオオクニヌシの物語。
これは出雲をおさめていたオオクニヌシが天津神に国を譲るお話でしたが、
それは出雲に強大な政権があり、それを日本の別の巨大な勢力(天津神の勢力に例えられている)が取り込んだという物語と解釈できます。
これと同じように、強大な政権だけではなく、各地域の土着信仰、神様、宗教、
その他小さな勢力を取り込み、1つにまとめあげる為、各々を神様として置換したり各地域で信仰されてる神を取り込み、全てアマテラス(天津神)に繋げることで、物語を一本にし、当時あった日本の巨大な政権を正当化させるために作られたのではないかと考えられます。
この他の信仰等を取り込んでいくという行為は、以前このnoteで紹介したヒンドゥー教でも同じ動きがありました。
キリスト教でも、ヨーロッパに広まるにつれ、新しい民族も信仰しやすいように形を変化させていく宗派と、そのままの形を維持していく宗派に分かれていきます。
これはなんだか、私たちに身近な人間関係にも非常に共通する部分があるのではないかと思います。
人間の本質のようなものは今も昔も変わらないのかも知れません。
神話の物語等、なにか大衆の共通のフィクションができ、そこにコミュニティや需要が生まれていきます。
以前、友人と話をしている時
「形容詞ってすごく曖昧な言葉と思わない?」
と問われたことがあります。
「かわいい」や「かっこいい」。
長くなるのでここでは深く触れませんが、形容詞をしっかり説明しようとすると実はすごく難しいのです。
普段使う言葉でさえもこうであるように、世の中にはよく考えてみるとたくさんの説明ができないようなな「モノ」を使ったり、人間は集まったりします。
仏教の龍樹という僧が
全てのものは実体がなく空である(無自性)
と表明しています。
私たちの暮らしの中にあるもの、そのほとんどが様々なフィクションでできているのかも知れません。
読んでいただきありがとうございます🙇♂️🙇♂️
このnoteを通して皆さんと一緒に自身の教養も高めていきたいと考えているので、なにか間違った知識等ありましたら遠慮なくコメント欄までお願いします🙇♂️
このnoteはある目標に向かって日々、勉強したことについつ更新しています。こちら↓にまとめてますので良かったらご覧くださいm(__)m
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