セレンディピティ

外山滋比古さんの『思考の整理学』という本を、50超えたオッサンが今更ながらに読んでいるのですが、その中に「セレンディピティ」という項があって、まあそれは何かって言うと、簡単に言っちゃえば「偶然の産物」ぐらいの意味かなとは思うんですけど、それで思い出したのが、辞書。

いわゆる昔の辞書です。辞典でもいいけど、冊子になってるやつ。

あれって何か調べ物しようとして開くと、調べるべき言葉だけではなくて(むしろそっちの方は「そっちのけ」で)その前後の言葉に気を取られたりしませんでしたか?

そのお蔭で新しい言葉に出逢ったり、今まで何となくで覚えていた言葉の意味が明確になったり、という道草を食うことができていた。

それが電子辞書の出現により消滅します。あれはそのものズバリの意味を調べられますからね。分かったら終わり。

それがインターネットが蔓延ることにより、またちょっと様相が変化してきました。

YouTubeやTikTokは次から次へと、どうでもいいものも含めて、これでもかこれでもかと情報を提供し続けてくれます。

我々は「きっと次はもっといいものがあるはず」と思いながら、指を上へ上へと動かすのです。

この繰り返しの行く末にセレンディピティはあるのでしょうか?

出逢えているのかもしれませんね。でももしかしたら、出逢えていることに気づかず、スワイプスワイプしているかもしれません。

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