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自業自得



留年の原因

留年の原因についてお話します。

端的に言うと、単純に過去問の暗記が不十分でした。
まず本試験のときはぬるっと覚えたせいで本番でうまく思い出せず撃沈し、再試験のときは範囲を絞って覚えたせいで想定外のところから出題されて撃沈しました。
ちょっと言い訳をすると、出題形式が僕の苦手な記述だったのですが、前後の試験が選択式だったこともあって対応しきれませんでした。
もっと友達と協力すればよかったのかもしれません。

まあ自業自得ですし、後悔してもしきれません。


医学部で試験を落とすということ


医師は判断ミスが命に関わるからテストすら上手くやれないやつは向いてないという意見もたまにききます。
そういう面もあるのかもしれません。

僕の場合、ほとんどの人が落とさないような難しいと言われていない試験を落としてしまったので、その意味での罪はより重いのかもしれません。

自分としても、器用ではないと思うし単純暗記能力も高くないし要領もよくないと思うので、あまり臨床医には向いてないのかもしれないですね。

もちろん暗記したものをアウトプットするのも嫌いではないのですが、教科書の記述を読むなどして事象を立体的に把握・理解することが好きなのです。

最近は研究者になりたいなと思っています。
それこそ実力主義で運も才能も努力もいるのに大丈夫なのか?という問題が高くそびえ立っていますが、まあ失敗しても人は死なないし自分が困るだけなので、多少気楽かなというのはあります。
もちろん大学研究者なら国民の血税が投入されていますし、企業はいわずもがなで、ベストを尽くすことは必須です。
この件については、機会があれば別の機会に詳しく書きます。

とにかく失敗は失敗として、何か次につなげられたらと思います。

前の記事の補足


前回2回で書いた僕の過去の話で、小学生のときになぜ自我喪失したのか思い出しました。
カウンセリングは今まで気づかなかったところに視点を向けさせてくださるからすごいですね。

家庭の仲が険悪だったときに自分はどうしたらいいだろう、何とかしなきゃと思って、何をすれば人はうれしくなる?と母に聞いたらありがとうと言われたら人はうれしい、と言われました。それで、脈絡もなく色んな人にありがとうを連呼するようになりました。
そしたら叔父にそれやめたほうがいい、と言われて辞めたのですが、その時にこれで人の願いを叶えられた、自分が役に立った、と思いました。
この頃から人の役に立とうと思って自我を封印してひたすら人の言うことを聞くようにしていった気がします。

今ならもっと自分を持っていいのに、とか違う方法があるやろとか思うのですが、このときはそういう結論に至ったわけです。

こういう判断の先に今のフラフラした、今ひとつ自己が定まらない自分がいるわけなので、やっぱり自業自得なのだと思います。


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