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頭を「からっぽ」にするレッスンを受けてみた

パンデミック、勉強、仕事、家庭…とかく生きているだけなのに、苦労が突然降ってくることがありますよね。必死に取り組んでると、だんだんと疲れがたまってきて、知らない間に自律神経の調子が悪くなってしまったりします。

そんな中、私は瞑想に注目しています。気持ちを落ち着け、自律神経が回復していきます。しかも、どこでもできて、お金もかからず、実は科学的な効果も証明済み。宗教色はなく、ストレッチの親戚くらいに気軽に取り組めます。

この記事では、瞑想に関する人気の本から得た学びを整理し、お伝えしていきます。

瞑想の効果

本書では、以下のようにメリットが記載されています。

瞑想は様々なストレス性症状の治療に用いられてきました。代表的な症状には、慢性不安、うつ病、怒り、依存、強迫行動、不眠、筋肉の緊張、性機能不全、月経前症候群(PMS)などが挙げられています

本当に多岐にわたりますね。

自律神経が不調だと、筋肉も緊張しやすいのですが、そういうのにも効きます(私は目の周りの筋肉がこわばってました)。

あと、女性にとっては、PMSもお悩みの一つではないでしょうか。私も妻が辛そうにしていることがあるので、(押しつけにならないよう)紹介して一緒に取り組んだこともあります。

瞑想のやり方(あくまで一例です)

・座禅を組み、目を閉じ、鼻呼吸
呼吸が鼻を通過する様子に意識を向ける
・つい他のことを考えてることに気づいたら、呼吸へと意識を戻す
1日10分で効果はしっかりでてくる。3分×3回とかでもOK。
・何時間でもやってよい(歴史学者のハラリは1日朝晩1時間ずつらしい)

私も試していますが、自分を外からみつめてるような、とても不思議で心地よい感覚に包まれるようになりました。普段から色々と考えすぎなのが良く分かります。人間という動物は、本来そこまで考えすぎないのがデフォルトなのかもしれないと感じるきっかけでした。

瞑想メリットのエビデンス(のひとつ)

モントリオール大学の研究チームは、瞑想をしている人としていない人のあいだで、痛みを感じている時の脳の反応の違いを調べました。その結果、瞑想をしている人では、していない人に比べて、痛みや感情をつかさどる脳の部位がかなり厚いことがわかりました。

この部位が厚いことによって、痛みを感じることが少なくなるとのことです。瞑想をすることでメンタルが強化されるわけです。脳の可塑性の1事例とも言えますね。いわば、脳の筋トレ

現代人は刺激を求めすぎている

多くの人にとって、一切何もしないというのは、よくて退屈、悪ければ実におそろしいことに思えるのです。 私たちは始終何かをすることに忙しくて、ただじっと心を休めることの意味をかえりみることさえありません。

全くもってこの通りだと感じます。常に神経を高ぶらせ(その実、脳を疲弊させ)、刺激を受け続けることがあるべき姿だと勘違いしていました。

私などは、本を読みながらオーディオブックを2倍速で聴くといったことすら行っていた時期があります。とても疲れたことに自己満足していましたが、続けているうちに疲労がとれづらくなり、後悔するばかりでした。

思考は車。自分は往来を脇からぼんやりと眺めているだけ

思考や感情から1歩距離をおくことで、空間の広がりを感じられる。自分が傍観者で、思念、すなわち車がゆきかうのをただ見ている存在のように感じられるかもしれない

この例え、面白いです。瞑想中に、思考と自分を切り離すイメージ。思考は道を走る車で、自分はそれを脇からぼんやりと眺めているのです。

呼吸の感覚に意識を向けようとしていても、つい悩みが浮かんでしまいます。それはいわば、往来を走っている特定の車につい注目してしまった状態です。走ってる車を外から止めることはできません。ただ注目をやめ、一歩下がり、ぼんやりとした心持ちを取り戻すのです。

不快なことも受け入れる

よいものにしがみつこうとするのと同時に、我らは不快なものを懸命に取り除こうとする。それが様々な考えであろうと、やっかいな感情であろうと、体の痛みであろうと同じことだ。すべて抵抗なのだ。抵抗している限り、受け入れる余地は生まれない。受け入れられない限り、安らかな心は決して得られない

これはなかなか難しいことだとは思うのです。どうにかして完璧に問題を解決するか、あくせく悩んでしまうのが人間だから。でもそれでは救われないという。簡単ではないですが、「それも人生のひとつ」として受け入れられるよう、心の器を大きくしたいなと願うばかりです。

幸福とは、なんでも受け入れられる内的な感受性

真の幸福は、楽しい時に感じる幸せと悪いことが起こった時に感じる悲しみを区別しない…私のいう幸福とは、どんな感情が湧いてきても、心地よくいられる能力のことだ

外から何かを得られることを、幸福のイメージとして捉えている人は少なくないと思います。私もそういうことがあります。地位、お金、名声…。でもそれは誤りだということ。

幸福とは、外から何かを得た結果ではないのです。何が外から降ってきても、静かに受け止められる感受性を保ち続けている状態を指すと理解しました。

自分=思考や感情のすべて、ではない

瞑想をはじめると、おのずと自分の感情によりよく気づくようになります。感情の種類、感情の強さ、ある感情はいつまでも居座り、ある感情はすぐに消えてしまうことなどに気づきます…瞑想とは、ただ日々の心を写真に撮ること

自分をどのように定義していますか?自分特有の考えや感情でしょうか。「人に優しくふるまえるのが自分」「難しいことを考えているのが自分」…。瞑想をしていると、勝手に思考や感情が浮かんでは消えるのが分かります。それらはまるで、動物としての一機能にしか過ぎないように感じてきました。勝手に動作している部分を、自分の本質と思うでしょうか。

本来の自分とは、そういうった感情がぶくぶくと浮かんでる一人の人間をみつめている観察者なのです。瞑想をしていると、それが分かるようになります。そして、観察者であり続ける限り、外部刺激に反応して生じる思考や感情に影響を受けることはありません。その状態こそが幸福なのです。ここに、瞑想の意義の一つがあるのだと考えています。

よかったら瞑想に関心をもってみてください。また、もっと詳しい方はぜひ色々と教えてください。

Kindleの紹介

ちなみに読書デバイスとしては、
・目が疲れづらくて
・メモ管理が便利な
Kindleがお勧めです。私はもうかれこれ10年以上使ってます。


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