vertigo×Pegによる音楽ゆらゆら話vol.3 後半

「愛とはなんぞや?」。

それが自分がこの音ゆらの動画収録の時までに考えていたことだった。
4枚のチョイスのうち、最初の2枚は「愛」と聞いてふと思い浮かんだアルバムを棚からサクッと抜いたのだけど、そこからはたと考え込んでしまって、動けなくなってしまう。

愛という価値観のようなものは、ひとのそのときそのときの年齢だとか境遇だとかタイミングによって移り変わってしまうものなんじゃなかろうか。そんなことをうっすらと考えていた。

まだ若すぎて一日に何人かの女の子とそれぞれ裸で戯れあってはその夜にひとり誇らしいような虚しいような気持になっていたあの頃に考える愛と、気が付けば父になって『西松屋』へ行くのだってまったく恥ずかしくなくなってしまったたったいま考える愛と。同じであるはずがなかろうと。であっても、いま選ぶ愛の一枚は難しい。最後は直観しかなかった。

Pegのひろみくんの選んだあまりにも偉大過ぎる一枚、一曲。そしてそれに関するあまりにも大きすぎる喪失と虚無。ぽっかりと空いた穴。正直、そのときは面と向かって顔を見れないくらいのフィールだった。だけど。だけどだけどだけど。そうなのだけど・・・なぜか、なぜか漢たちの話はそんな深い喪失から、好みの女性の話にガラリゆらゆらと移り変わっていく。いったいこれはなんなのだろうか。悲しみと可笑しみはつねに隣りあわせ。たぶん人生とはそういうものなのかもしれなくて、ひとはそうであればこそ、生きていけるのだと。

ちなみに僕がしつこく女性の好みについて言及しようとしているのは、ワインの酔いではなく、ほんとうにそれが自分でよく分からないからだ。高校くらいの頃から「風吹ジュン」とずっと言っていたのは少しばかり逃げであって、女性の好みという概念がいまいちよく分かっていない。それはいまだに。そんな感じで音ゆら後半です。

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