借金=loan; debt

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「借金」と書けばソー・ハードなのに、「ローン」と書けばなんだかソフティに思えるのは、それこそ言葉のマジックというやつなのか。

ゼロからお店を立ち上げたひとなら、最初に借金を背負っていないひとは皆無だろうけど、普段からそのことについてそんなに語られることはない。それはまるで語らないことがエチケットのように。

まあ会うたんびにお金の話しかしない人間には決してなりたかないが(実際にこういうひと居ますよね)背負ってしまっているものの話は絶対無し、というわけではないだろう。

お店をやってるひとじゃなくても、実際は車や家のローンなんかで借金を抱えているひとは多いのだろうし、それは見えないだけで、その辺を歩いているひとであっても、それぞれの数字を抱えているのだろうし。・・・というか、現実の話、この国はどうやら貧乏まっしぐら、いや貧富の差まっしぐらのようなので、この辺の話は人にはよってはデンジャラス極まりなくて触れない方がベターなのかもしれない。が、なんにしても、どんな題材であっても、きっと書くこととはどこかの誰かを斬ってしまうこと、と気持ちを翻してタイプを続ける。

例えばよく思うのだけど、ドラゴンボールのスカウターみたいにそれぞれの借金の数字が見えたりする、というのはどうだろう。借金というやつは目に見えない。目には見えないがじつはそれぞれが抱えている、途轍もなく大きいもの。もしそれが目に見えれば、例えば、感じ悪いあそこのコンビニの店員だって、スカウターの数字を見ては丁寧な対応になるのではないか。まぁなるはずないけど、みんな大変なんだなぁとひとに優しくはなれまいか。

僕が個人的に産まれて初めて借金をしたのは学生だったころ、10万近い革ジャンを買ったときだった。よくある、その洋服屋系列だけで使えるカードを初めて作って、その革ジャンを買った。あのとき、なんであんなものを買ったのだろうと今となってはとても不思議だ。着てるとあまりに重くて肩がこって仕方ないから、知り合いのバイク乗りの社長にあげてしまった。

当時、たしかそのカードのことが母親にばれて、しこたま怒られた記憶がある。お金を借りる、ということはとっても重くて大変なことなのだから、そのことをよくわかっておきなさい、と。あれ以来、なんだか借金が恐怖になって、できるだけ遠ざけてきた感がある。クレジットカードだって、持ったのはほんのつい最近のことだ。就職活動もしたことのない、カード審査を何度落とされたかわからないこの野良犬人生。良くも悪くも借金に縁遠い人生というか。

そんな僕が店をやるにあたって借金を背負うことになったのだ。そりゃあ、一大事である。雑貨屋とて、始めるにあたって並べる商品が必要だし、什器だって内装費だってかかる。最初は奥さんのマッサージ店の中での雑貨部門として立ち上げることで銀行から借り入れをし、そこから現在では店を分けてなんとか運営している。

この歳で頭のなかがお花畑な僕は、最初はその借入額に無頓着だったのだけど、あとからになって現実の数字を思い知って、おろおろと尻込みしたりした。たぶん自分ひとりの野良犬人生だったら、そんな数字背負っていないだろう(というか世の中は決して野良犬なんかにはお金を貸してくれない)。2019年のこの時代にいまさら男が、女が、とは言いたくないのだけど、案外とその辺の覚悟というか思い切りの良さというのは、やっぱり女性の方が持っているのかもしれない。経験上、往々にして男性という生き物は、大いに夢を語るわりにはなんにも背負いたくないし、そのくせ、いつでもどこへでも旅立ちたい、なんていう身勝手な想いを持っているものだ。たぶん。

だからこそ、そんな尻込みをした僕に、彼女はまるで大切過ぎるレコードへゆっくり針を落とすように冷静にこう告げた。「でも普通、お店をやるひとというのは、それを立ち上げるために何年も何年もお金を貯めるものでしょう。あなたはそれを後からやっているだけのことじゃないかな」・・・正しい。あなたは、100%、いや、200%正しい。こういうリアルな話においては夫は妻に一生かかってもかなわない。というか、こちとら、かないたくもない。ひたすら目の前にぶら下がるウォントレコードのことだけ考えていたい、この野良犬人生よ、ああ永遠なれ。

まあそういうわけで、月末の支払い時期になると我らのスカウターはいよいよピコンピコンと赤く光り出し、周囲の空気は硬く締まる(今月もかなり締まりだしている)。そのことを考え出すと、そのことだけしか考えられなくなって暗くなるから、スカウターをどこか横目でちらちら見ながら、できるだけ前を向いて楽しく笑って過ごす。もちろん、明日はどうなるかわからない。借金の山に潰されてどこか遠くへ飛んでしまうのか。はたまた海へ沈んでしまうのか。でもまあ、とにかく。僕は、家族というスクラムを組むことで、その厳し過ぎる山をなんとか超える道を選んだ。超えれるかどうか、というよりも、超えるしかないよな、という道しかない。だったら、なんにしたって、そこには厳しいながらも、楽しいヴァイブスが欲しい。…そう、ひと、店、ともに楽しいヴァイブスがすべてなり。楽しいヴァイブスにこそひとは反応し、わざわざ暗いヴァイブスにはひとは寄ってこない。そう勝手に思っているのだけど、どんなもんだろうか。

その昔、フォークシンガーのなぎら健壱さんにインタビューをしたことがある。それは出版された居酒屋本に関する取材だった。その途中、いまでも言うべきではなかった気もするが、思わず言ってしまったことがある。
「・・・なんだかお仕事、楽しそうですね」
居酒屋本を出したり、趣味が仕事になっていいですね、という軽い気持ちの言葉だった。その言葉を聞いて、なぎらさんは一瞬目を見開いて驚いた表情を浮かべては僕の目をじぃっと見つめた後、あのいつものニヒルな表情に戻って、こう言葉を返した。
「・・・そう見えてるのならば、いいのかもしれないですね。だって、なんていったってあたしたちの仕事は、周りから楽しんでるように見えなくちゃならないんで」
いまでも毎日カウンターに立ちながら、ときどきその言葉を想い出しては繰り返す。さて、僕は楽しんでいるように見えているだろうか。


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「冷たいちゅるちゅる」。とにかく子どもたちから、いつもそのリクエストが多い。でも自分としては冷たい麺と熱い出汁の対比が好み。そういう意味ではつけ麺とか温かい鶏汁せいろなんかが好きでよく作ったりする。果たして子どもたちがそれを好きになってくれてるのかはわからないけれど、好きになってくれたいいなぁと思いながら、しぶとく作る。きっとこれから何年も一緒に過ごしていく関係なのだろうから、せめて食の趣味や好みは合っていてほしい。…が、しかし、それもこちらの押し付けかもしれなくて、好みが合わない可能性もある。考えてみれば、僕だって昔、母が作ってくれた数々の家庭料理にすべて好みが合っていたというわけでない気もする。ま、結局のところ、家族なんてのもあくまでたまたま何十年か居合わせる共同体であって、不確かなものなんだろうな、と思う今日この頃。写真は冷たい素麺を使ったジャージャー麺的なもの。ちなみに器はうちでも取り扱っている、金澤宏紀くんのもの。


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