SQLが書けたら分析ができるようになるのか

「みんなSQLが書けるようになる」ことは本当にいいことなのか

PdM・PM・営業・デザイナーなど、エンジニアやデータ分析者以外の人でもSQLを書くことを奨励している企業を時折見かける。極端な話ではみんながSQLを書けるなんて話もある。そういう話を見るたびに「本当にそれが一番いい方法なのだろうか」と気になっている。

全ての人が全ての仕事ができる、は理想だがそれが無理だから役割を分担しているはずだ。なのになぜかSQLについては誰でもできる、みたいな話になっているのは不思議でならない。

そんなわけで「みんなでSQLを書くことがいいことなのか」ということを改めて考えてみたら長くなった。そこでまずは「SQLが書けると分析ができるようになるのか」を考えてみよう。

SQLが書けたら分析ができるようになるのか

「分析ができる」ということ自体が曖昧なので、「分析」という行為に含まれるだろういくつかの部分に分けてみてみよう。

  • 知りたいことは何かを考える

  • 必要なデータが何かを考える

  • 思うようにデータを扱う

  • データを使った洞察をする

  • 都合のいいデータだけを使わない

  • 中立的に考える

知りたいことは何かを考える

SQLが必要になるのはもっと後なので、SQLがどんなに書けるようになってもこの部分ができるようにはならない。

必要なデータが何かを考える

同じくSQLを使う前の話なので無関係。

SQLが書けてデータへの理解があれば必要なデータが何か考えやすい、と思うかもしれないが正しくない。

この段階で必要なのは「知りたいことのためにどのようなデータが必要なのか」を制約なしに考えることである。実現できるかはその次だ。むしろ「今あるデータで何ができるか」を先に考えてしまうのは分析の失敗につながるだけだ。

思うようにデータを扱う

データを扱うにも2つある。1つは様々な場所からデータを入手すること、もう1つは入手した後に手元で加工することだ。

データを入手するうち、データベースからの抽出にはSQLが必要なのでここでは役に立つ。それ以外に必要なこと、例えば社内の他部署が使っているデータの権限をもらうために事情を説明して交渉する、といったことにSQLは役に立たない。

手元で加工する際にもSQLは使わない。データベースからの抽出の際に集計などを行う場合もあるので加工に一切役に立たないというわけではないが、スプレッドシートで数字をいじくったりする段階では出番はない。

データを使った洞察をする

意思決定のための「分析」の中心はこの洞察であるが、SQLのスキルは影響しない。

示唆を出す、インサイトやインテリジェンスを作るなど表現はいろいろあるが、どれも同じ。

都合のいいデータだけを使わない

これもSQLは関係ない。むしろ自分でSQLかけてしまうと自分の都合の良いデータだけを選んで使うことができるようになってしまうのでマイナスかもしれない。

中立的に考える

分析の中でも中心になる態度というか考え方。これもSQLは関係ない。

結論:SQLが書けるようになっても分析ができるようにはならない

ここまで見たように、SQLは分析の中の一部でしかない。正確に言えば、分析のためのデータを入手するための1つの方法だ。

従って、SQLが書けることと分析ができることはほぼ関係なく、SQLが書けるようになっても分析ができるようにはならない。

「包丁の技術を学べば料理ができるようになる」とは思わないだろう。効率はいくらか上がるとしてもおいしくできるかは別だ。それに、栄養バランスが良く、手際よく、より低いコストで作れるようになるためには包丁以外の技術も必要だ。

SQLを学ぶことは無駄なのか

だからSQLを学ぶことが無駄であるとか、みんなが書けるようにすることに意味はない、という結論にするのは早すぎる。他にもメリットがあるかもしれないので検討しないとわからない。

「みんなでSQLを書くこと」のメリットとしては「エンジニアの負担が軽くなる」が挙げられることが多いようなので、次はそちらを考えてみよう。

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