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大人と子供


#探究学習がすき

 ひょんなことから、とある学校の探求学習で講演をさせていただきました。男女約120名の高校一年生を前にして、いったい何を語ればよいのか。頂戴したテーマは「大人の話を聞こう-プロフェッショナルの仕事とは」だったのだけれど、そもそも自分は「大人」と「子供」という記号性がしっくりこないと感じる人間で、自身も(今年で57歳になりますが)大人なのか子供なのかよく分からないまま今日まで生きてきました。

 日本の法律では18歳から「大人(=成人)」ということらしいけれど、18歳の誕生日を迎えたその瞬間にそれまで子供だった人が突然大人に生まれ変わるはずもなく、だからといって「大人」の定義がどこかに正確に明記されているわけでもありません。就職して家族を持てば自動的に社会的責任が発生し、それをもって「大人」とするならば確かにそうかもしれないけれど、同時に「子供」の部分を全部まとめてゴミ箱に捨てて蓋をする必要はないと考えています。

 実際、いまの自分の考え方や物事の見方の根幹は高校時代に形成されたものだと思っていて、だから自分の頭の中はいまでもあの頃と何ら変わっていません。でもそのことに関して、誰かから「お前はいつまでも子供だ」とか「いい加減、大人になれよ」とか言われたことはなく(口に出さないだけでそう思われている可能性は多分にありますが)、どうやらどうにかいまの自分が属する社会においては、そういう生き方でも許容されているようです。

 結局彼らには、「身の丈でいまを生きてください」と伝えました。歳をとってからでもできることは、歳をとってからやればいい。でも、歳をとってからでは、高校時代のような生き方は絶対にできないからです。そして「高校時代の自分と歳を重ねてからの自分はしっかり繋がっている」とも話しました。高校時代に経験したことから感じた辛さや嬉しさや悲しみは、高校を卒業したら終了ではなく、その後の人生にずっとくっついてくるものだと。実際、自分は高校二年生のときに彼女にフラれ、なんだかもう日本にいたくなくなってしまい、英語の成績が5段階の2だったにも関わらずアメリカの大学へ留学。泣きながら勉強してどうにか卒業して帰国し、その後も色々あったけれどいまこうして皆さんの前でこんな話をするに至っている。つまり、高校時代の体験や経験がいまの自分を作っている。そんな講演内容としました。

 おかげさまでたくさんの質問も頂戴し、予定の2時間を超えても次から次へと手が挙がり、中には即答できないようなスルドイ質問もあって、こちらのほうが「探求」しなくてはならない場面もありました。そう。「探求」もまた、探求学習が終わったらおしまいではなく、一生仲よく付き合っていかなくてはいけないものなんだと、あらためて気付かされた講演でした。

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