「頑張る」はいらない


#大切にしている教え

 社会人になって間もない頃だったと思う。細かい内容はまったく覚えていないのだけれど、自宅(=実家)に上司から電話がかかってきて、仕事の件でこっぴどく叱られた。彼が怒るのも無理はないようなミスだったから、自分は「申し訳ありませんでした」とただただ謝ることしかできず、でもこんな電話からは一刻も早く解放されたいという気持ちもあって「次回から頑張ります!」と言って電話を切った。
 やれやれ、と意気消沈していたら、大好きなTVドラマに集中していたと思っていた母がボソッと呟いた。

「なんで頑張りますなんて言ったの。あんた頑張ったんじゃないの?」

 いやまあそうなんだけど、ミスしたのは自分なんだから仕方ないじゃんかと返したら、今度はこっちを向いてこう言った。

「だったら今度は頑張りますじゃなくて、今度はミスしないようにしますって言いなさいよ。手を抜いてミスしたなら同情の余地もないけど頑張ったんでしょ。頑張ったってミスすることはあるんだから、それを繰り返さないようにしなさい。次回は頑張りますなんて言ったら、今回は頑張ってないみたいでしょ」

 母親の言うことはたいていの場合、素晴らしく的を得ていた(そして優しかった)。以来、「頑張ります」は言わないようになったけれど、「頑張る」という言葉に、どこか居心地の悪さを感じるようになった。
 仕事をしているだいたいの人はほぼ必ず頑張っている。あえて「頑張ります」なんて言わずとも、課せられた責任を果たそうとして頑張るのは、空気を吸うようにそもそも当たり前のことなのだと分かった。
 もうひとつ分かったことがある。いつもよりも元気がなくて、「頑張って」と思わず声をかけたくなる人は、その時点ですでにほぼ必ず頑張っている。頑張っている人に頑張ってとエールを送るのは、「言われなくても頑張ってるよ」「これ以上何を頑張ればいいのさ」と、エールどころかかえって気持ちを逆撫でしてしまうのではないかと感じるようになった。だから「頑張ります」だけでなく「頑張って」も口にしなくなった。
 母親のひと言がきっかけで、自分にとって「頑張る」という言葉は、声に出さず胸に秘めておくようになったのである。



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