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【アーカイブ】平面と立体


(『CG CLUB NEWSLETTER』2020年2/3月号より転載、加筆・修正あり)

 年末年始にかけてニュースを賑わせていたのは、ご存じのように映画やドラマみたいな国外逃亡を図ったアノ方だったが、個人的に気になってネットでも詳細を調べたのは「PISA(国際学習到達度調査)」の調査結果だった。今回は79の国と地域が参加、日本は高校1年生ら6100人がテストを受け、「読解力」の低下が著しいと公表された。この結果を知って、「そうだろうな」という納得した反面、「でもそれは高校生に限ったことではないのでは」とも感じた。

 webサイトへの寄稿にはずっと抵抗感があって、でもこのご時世ではそうも言ってられず、半ば仕方なく細々とやり始めたが、本当に正確に伝わっているのかどうかという疑念はいまだ払拭できていない。

 基本的にwebサイトはアクセス数やページビュー数やセッション数などが人気のバロメーターとなっていて、寄稿者の評価はこれらの数字によって下される。かれこれ1年ほどwebサイトに寄稿してわかったのは、これらの数字と原稿の出来不出来は必ずしも関係ないということである。特にweb上での自動車記事の閲覧数は内容よりも車名や車種に大いに引っ張られる。例えば、自分としては「すっごいうまく書けた」と手応えのある白くて地味な4ドアセダンの記事と、「今回はなんだかただのリポートになっちゃったなあ」と後悔の残る真っ黄色の派手なスポーツカーの記事とでは、スポーツカーのアクセス数のほうが圧倒的に多かったりする。こういう結果を突きつけられると「なんだかなあ」と落胆するわけである。

 もうひとつ、いまだに困惑するのは、アクセス数が多いからといって必ずしも訪問してくださった方が“きちんと読んでいる”とは限らないということ。サイトによっては読者からの書き込みができる所もあって、それを拝読すると「いやいやそんなことを書いた覚えはないのに」と、椅子から転げ落ちそうになることが何度もある。もちろん、その原因のほとんどは自分の稚拙な文章のせいかもしれないけれど、読者の読解力をちょっと疑問視する場合もあったりする。

 日本人はおそらくその歴史上、今もっともたくさん文章を書いたり読んだりしていて、それがスマホの普及やSNSの乱立が原因であることは明白だ。自分が学生の頃なんて、自宅で文章を書くのは夏休みの宿題の読書感想文くらいしかなかった。ところが現代においては、FacebookやLineやInstagramやTwitterなどのSNSを活用している人が多く、「今日はひと文字も書かなかった」なんてことは極めて稀だろう。

 文章に触れる機会の増加に反比例して読解力の低下が指摘されている背景には、平面的文章と立体的文章の違いが存在すると個人的には推測している。確かに文章を書く機会は増えたものの、それらを読んでみると口に出して伝えれば済む“言葉”を文字に置き換えただけで、“文章”ではなく平面的な記号や写真や画像のように映る。本来なら耳から入ってくるものを文字に変換しただけなので、「読む」というよりは「見て」、脳内で声にして理解しているから、読解力はあまり必要ないのかもしれない。

 文章とは複雑なあやとりのように立体的で、それをうまくほどいていくと書き手の本意に辿り着くものだと思っている。自分なんかは偉そうに「言いたいことは全部そこにあるけれど、すべてが文字になっているとは限らない」を信条に、なるべく立体的な文章を書くよう心掛けているのだけれど、それを平面的に読まれてしまうと本意はなかなか伝わりにくいのだろうかなんて思ったりしている。

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