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イジメ問題に対して大人ができることとは?

子供は自然だ

そこなへんに生えてる木々や植物と同じで
風に吹かれるままになびく
雨が降るままに水を受けて吸収して
太陽の光を浴びるままにぐんぐん成長していく

そんな感覚がする

都会のコンクリートに囲まれていても
関係なく子供は子供のままで
自然のままで…

そんな自然の中で
自然の子供の中で
自然と生まれてしまう「イジメ」

今回は子供のイジメ問題について
自分の偏ったおそらく少数派な考えを書き綴りたい

|イジメは絶対なくならないワケ…

イジメを根絶するということは
子供を自然でなくすという行為でもあって
どうしても子供から子供らしさを無くしてしまうのではと不安を抱いてしまう

大人が無理にコンクリートで蓋をしたって
自然は割れ目や隙間を伝って伸びてくるもの
つまり、子供にどれだけルールを課したとしても、大人が予想できない発想での自分たちルールですり抜けていくものだ

なので残念なお知らせかもしれないが
イジメはなくならないし
イジメる、イジメられる、傍観するそれぞれの立場は、
子供のコミュニティーの中でなにがあろうと自然発生する

|過去の経験に重ねてみても

僕自身、学校で嫌な目にあったことはあるが、親や先生に相談したことはない、
子供ながらに大人に気をつかうのである
子供の頃の感覚を思い出すと、大人が見ててイジメかどうか微妙なコミュニケーションなんて
日常茶飯事のように学校内では毎分毎秒起こっている
大人の介入なしで友達に救われる場合だってあるし、僕はそのタイプだった

被害者面はしたくないので正直に打ち明けるが、
当然、嫌な思いをさせる側になったこともある
「そんなことで、泣くな」「そんなことで、先生にチクるな」
「そんなことで」感覚である
誰もイジメているなんて感覚はこれっぽっちもない

きっとその時に打ち明けられていないだけで
傷つけたり、精神的に追い込んでしまったりしたことなんて
誰しも経験してるはずだが、自覚がないということ

|現状、イジメ問題が起こった時の対応

イジメ問題が起こるたびに
大人たちは、原因を追求し、責任は誰なのか犯人探しをして、騒ぐけど
そんなことしても仕方がない、
太陽の光を浴びて成長するがままにイジメもまた自然と生まれてしまうからだ

子供の変えようとするのは論外
やっぱり大人の意識を変えないといけないのだが
歳を重ねて自然とは程遠くなるにつれて
自然目線(子供目線)が理解できなくなる

自然を理解できないのに、自然から起こる問題をどうやって解決するのか?
おそらく大人が真に子供を理解するのは不可能ではないかなと思う

ではイジメは放置するしかないのか?
と疑問が出てくる

イジメが起こることは仕方がないし発生を止めようがない、
それよりも、イジメが起こっていることをいかに素早く感知する
アンテナを張る環境づくりができているか
ということが課題なのだ

これは非常に難しいかもしれない
どこからイジメが始まったのかの線引きがわからないから
ぱっと見は、ただの遊びに見えてしまうことも、イジメに見えることもある
いくらアンテナを張って感知をする環境にいたとしても、どのタイミングで介入していいかが
わからないのである。

|最善策はあるのか?

僕たちはニュースに取り上げられる、「すでに起こってしまった問題」に触れてから考え始めることが多いから、
「大人はなにをやっていたんだ?」といくらでも後出しジャンケンができるわけだが、
問題として取り上げるか否かを判断する当事者となると、本当にむずかしいことが想像できる

ではなにが最善策なのか?

イジメが起こってしまうことは避けられない
アンテナは張っていてもどのタイミングで介入していいかがわからない
となると
どうしても、程度が大きくなるまで見守るしかできない

悔しいが「見守る」しかない

そして見守っているということを子供に意識させる

今、イジメ問題で教育現場に必要なことは
「事態を防ぐ方法ではなく、最悪の事態を避ける方法」なのだ

まとめるとこうだ
・イジメそのものの根絶は不可能だということを認知する
・イジメが起こりうる環境へのアンテナを張って感知できる体勢をつくっておく
・子供たちに、「見守っている」というセーフティーネットがあることを意識させる
・子供たちから相談があれば一番良いが、イジメられる側の心理はなかなかそうもいかないので、
ある程度ことが大きくなるまで見守るしかない(いつでも助けられる態勢で)
・イジメの程度はいきなり100ではない、1〜30までは大人の目線では遊びかイジメかよくわからない段階、ここで介入はできない
・30〜70くらいで介入できるのがベスト


|まとめ

最悪さえ逃れれば、子供は救われる
そう信じて、大人の役割は、最悪の前の一手を差し伸べるセーフティーネットとなること

体制づくりはそれでいい

体制をつくるには
なによりも大人同士のコミュニケーションがうまくいっていることが大前提だと思う

僕は一般人として、
どう社会問題を意識して関わるかを考えて記事に想いを書き綴ることしかできないが、
社会問題に取り組んでいる団体や先頭を突っ走って行っている人たちを応援していきたいし
なにかもっと協力できることはないかな?


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