火曜日のルリコ(10)

 ルリコはこの日、まったく寝付けなかった。

 ムーは眠そうな目をしながらも、パソコンを開いているルリコに付き合ってくれた。

 自動車事故で母親を殺されたくらいで、その国の大統領まで殺すなんてことがあるのだろうか。

 確かに優子は、そうとう勘の鋭い女性だし、それなりの論理的思考も駆使しているようだ。こうした才能は、きっと彼女のキャリアに役立っているのだろう。

 しかし、松村が由紀奈夫人を操ってキール大統領を殺そうとしているなどという結論は、ルリコにはかなり行き過ぎているようにも思えた。それでも、半分以上その話を信じている自分がいた。

 ルリコの記憶喪失、似たような症状を示している大田原と池田、手帳の文字、アメリカ大統領に対する憎しみ・・・。

 松村が、本当にメッシングのような不思議な力を持っていると仮定すれば、確かにすべてのことが、うまく説明できるように思えた。しかし、確たる証拠はない。

 ルリコは、もっと他に手がかりはないかと、あてもなくネット上をさまよっていた。

 まずは、キール大統領だ。 

 アメリカ大統領ともなると、その言動は世界中で毎日報道されるから、「キール大統領」という言葉だけで検索すると、おびただしい数がヒットした。

 「経歴」と付け加えると、途端に数が減った。

 やはり手っ取り早いのは、ネット上の一般編集の事典サイトのようだ。この種のサイトをいくつか覗いてみたが、だいたいどれも似たり寄ったりの内容で、ほぼ次のような記述が載っていた。

 

 ジョン・アルボ・キール(John Alvo Keel、一九六二年二月二四日~)は、アメリカ海軍の軍人、政治家。第四五代アメリカ大統領。

 一九六〇年五月二四日にアメリカ合衆国テキサス州に生まれる。一九七八年アナポリス海軍兵学校に入学、一九八一年に卒業。戦艦「アリゾナ」、巡洋艦「デンバー」などに勤務した後、一九八八年に大尉に昇進、駆逐艦「ヴィンセンス」艦長としてペルシャ湾でクウェート艦船の警備に携わる。一九九〇年に少佐で退役後はテキサス州選出の共和党上院議員となり、二〇一六年の大統領選挙で当選。家族は夫人ミシェルと子供二人。

 

 それは、昨今流行のアイドル・グループや人気アニメに関する記述と比べても、格段に簡単なものだった。

 次に、ヴォルフ・メッシングを調べた。

 オカルト関連サイトにいくつか簡単な説明が見つかったが、どれも同じような内容だった。どうも、昔出版された書籍の内容を、そのまま孫引きしているようだった。いくつか画像も見つかった。

 ルリコはクリアーファイルを取り出し、メッシングと松村亜利の写真とを見比べた。

 二人とも、同じような鋭い目をしていた。

 日本語サイトでは、それ以上の情報を得られないと判断して、外国語でも検索してみた。

 自動翻訳ソフトを通した日本語は、なにが言いたいのかわからないほど無茶苦茶になっていたが、それでもメッシングが一九七一年、舞台でのパフォーマーとして、「功労芸術家」の認定を受けていることはわかった。

 旧ソ連での「功労芸術家」というのが、どの程度のステイタスになるのか、ルリコにはよくわからなかったが、いずれにしてもソ連という国家が、このメッシングという男の存在を肯定的に評価していたということだ。

 最後に、「カルバラ」をチェックした。

 ホストクラブ以外にも、固有名詞でたくさんヒットしたことには、むしろ驚いてしまった。

 あるサイトは、こう解説していた。

 

 イラクの首都バグダッド南南東九十キロ余りにある都市の名で、シーア派第三代イマーム、フセイン(六二六~六八〇)一行殉教の地として知られる。

 六八〇年、イラク南部クーファのシーア派住民は、ウマイヤ朝第二代カリフ、ヤズィード(在位六八〇~六八三)打倒のためフセインの決起を要請した。フセインはこの要請に応じクーファに向かったが、この動きを察したヤズィードは大軍を差し向け、カルバラの野でフセイン一行を包囲した。フセイン一行には婦女子や老人も含まれていたが、三日間水や糧食を絶たれた後、イスラム歴六一年ムハッラム月一〇日(西暦六八〇年一〇月一〇日)、フセイン軍は婦女子を除き全員が殺害された。フセインは首を刎ねられ、胴体はカルバラで葬られたが、その首はダマスカスに送られた。

 現在カルバラにはフセインの墓廟があり、シーア派の重要な参詣地となっているほか、墓廟近くに埋葬されると天国に行けるという信仰もある。

 フセイン殉教は、シーア派イスラム教徒にとっては宗教上非常に重要なものと考えられており、毎年イスラム歴ムハッラム月一〇日は「アーシューラー」と呼ばれ、カルバラへの巡礼や、フセイン一行の苦痛を集団で追体験する行事が行われる。

 

 フセイン。亜利の死んだ弟も、同じ名前だった。かつてのイラクの大統領もそうだし、ヨルダンの王様にも同じ名前の人物がいた。イスラム教徒には、よくある名前なのだろうか。

 フセイン一行は、カルバラで惨殺されたらしい。シーア派イスラム教徒は、今でもその死を悼んでいるらしい。亜利もそうなのだろうか。そもそも、自分の店を「カルバラ」と名付けたこと自体にも、何かの意味がありそうだ。

 しかし、キール大統領と松村を直接結びつける情報は見つからなかった。この段階では、松村がキール大統領を殺す理由としては、大使館の車に母親と弟が殺されたこと以外にはないように思えた。

 

 ホストクラブ「カルバラ」は、新宿三丁目の雑居ビル五階にある。あたりは、似たような店が軒を連ねる繁華街だ。

 土屋優子は、店の前で大きく一息入れると、厚底のサンダルを踏みしめて自動ドアの前に立った。

「いらっしゃい。おきれいなお嬢さん。カルバラは初めてですね」

 ドアが開くなり、若いホストが、浮ついた声で迎えてくれた。

 肩までの黒髪の先端をわざとらしくばらばらにして、細身の背広にポケットチーフまで差して気張ってはいるが、その物腰からすると、入ったばかりの新米のようだ。

「あら、私が初めての客だなんて、よくわかったわね」

 少しばかり声に力が入ってしまった自分が、ちょっと腹立たしかった。

 私もまだまだね。

 心の底でそう思ったが、若いホストは、そんな優子の心情には気付かないようだ。

「店長から、店に来たお客さんの顔は覚えとけと言われてるんで」

 やっぱり、この人新米だわ。

 優子はにこりともしないで、案内された席に就くなり言った。

「店長を呼んでくれない」

 このいきなりの要求に、相手は、正直に困った表情を見せた。

「店長は今、なじみのお客さんのお相手で、少しばかり手が離せないんですけど。僕じゃ駄目ですか」

「もちろん、ただでとは言わないわ。ドンペリのゴールド入れるわ。それなら、店長も挨拶くらいしてくれるでしょ。あなたの点数にもなるし」

 若いホストの顔が輝いた。

「お客さん、お名前は」

「ユーコでいいわ」

 彼は、いきなり大声を上げた。

「四番席ユーコさん、スードン入ります」

 すぐに店内で、同じ内容のアナウンスがあった。

 どこからか他のホストたちが集まって優子を取り囲むと、皆ではやしたてた。

 自分がいつも店でやってることだが、他人がそうしている姿は、ひどく滑稽に思えた。

 すぐに最初の男が、太目のドン・ペリニョンの瓶とグラスとを持ってきた。グラスを優子の目の前に置くと、ラベルを見せて言った。

「ドンペリのゴールドです」

「皆さんも一緒にどうぞ」

 集まった男たちが歓声を上げる。すぐに全員に、シャンパングラスが配られた。

 ボン、と派手な音がして栓が抜けると、集まったホストが一斉に拍手し、万歳をした。

 最初の男が、丁寧に両手で優子のグラスにシャンパンを注ぎながら、嬉しそうに言った。

「ユーコさん、ありがとうございます。僕のお客様でスードン入れてくれたのは、ユーコさんがはじめてです。本当にありがとうございます」

 目尻が潤んでいるように見えた。

 この男の常套手段は、母性本能をくすぐることだろうか。

 全員のグラスに注ぎ終わると、大きな瓶もちょうど空になった。

「ユーコさん、ありがとうございます。それじゃ、みんなで乾杯」

 最初のホストが音頭をとり、全員が唱和した。

「乾杯、ドンペリ万歳」

「乾杯」

 優子もつられて声を張り上げてしまい、そんな自分にまた少し嫌悪を感じた。

 これはきっと、職業病だわ。

 自虐的に思った。

「店長は、手が空いたらすぐに来ます」

 シャンパンを一息で飲み干してから、最初のホストが顔を近づけて耳打ちした。

 なかなか気の利く若者だ。それに、悪い顔じゃない。次に機会があったら、指名してやろうかしら。

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