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転換期 #5

映画や演劇などのエンターテイメントの世界に携わってゆきたいと考えていた私が、なぜ山形に戻ったのか。そして、なぜ農業を始めることにしたのか。

そのきっかけは、私の大好きな祖父母にあります。

私の実家は先祖代々ずっと農家としてやってきましたが、祖父母が高齢となり農家を引退したことでその流れが途絶えようとしていました。私の両親は会社員で、農業とは全く関係のない仕事に就いていたので後継者はいません。また私自身も、自分が農業を継ごうと考えたことはこれまで一度もありませんでした。

そんな中、数年ぶりに実家に帰ったある日、私は祖父の異変に気がつきました。さっき話したばかりのことを何度も聞き返してくるのです。まるで初めて聞くかのように何度も。認知症でした。

若かりし頃の祖父と茶の間にて

気がつけば祖父母の年齢は90歳目前になっており、年齢的にはそうなってもおかしくはないのかもしれませんが、実際に目の当たりにすると最初はショックでした。日常の会話だけではなく、大好きだった畑仕事や山仕事も少しづつ出来なくなっていきました。また、祖母は耳が遠くなってしまい、コミュニケーションをとるのが難しいという状況でした。

失われてゆく記憶と経験。

私は幼稚園に入るまでは毎日祖父母に面倒を見てもらっていたので、根っからのおじいちゃんおばあちゃん子です。そんな私は、物心つく前からいつも2人に連れられてよく畑で過ごしていたこともあり、農業を生業としている祖父母の姿を間近で見ていました。祖母と一緒に作物の収穫をしたり、祖父の動かすトラクターを一緒に運転させてもらった記憶は、私にとって今でも大切な思い出として残っています。

大好きな祖父母とのスリーショット

改めて考えると、いまの自分が存在できるのは祖父母やこれまでの先祖たちが頑張って農業を続け、二ノ戸家を守ってきてくれたからです。その知識や技術が、いま自分の目の前で失われようとしているのはもったいないことだし、とても残念なことだと感じました。

だから、自分がこれまでそうしてきてもらったように、今後は私が自分の子供やこれからの世代にそういった知恵や場を残してゆきたいと思うようになったのです。

何事もそうですが、一度失われたものをまた取り戻すことは非常に難しいです。手遅れになる前に、後悔する前に、いまやらないといけないと思ったのです。

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