見出し画像

生き方としての農家 #6

私が農業を志すもう一つのターニングポイントとなったのは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックでした。

コロナ禍において人や物の流れが制限されたことによって、食べ物の供給に大きな偏りが生じたように感じました。誰にも消費されずに廃棄されていく食べ物もあれば、海外からの輸入に依存していたために一時的に供給が不安定になる食べ物もあったように思います。

私たち人間はひとりで生きてゆくことは出来ませんが、誰かや何かに過度に依存していたり頼ったりしていると、有事の際には自分ではどうしようも出来ないことが起きてしまうということを感じました。普段、欲しい物を欲しいタイミングで手にすることができるという状況は、当たり前ではなかったのだと改めて思いました。

また、私はこの食糧供給の問題から食の安全性についても関心を持ちました。

幸せなことに今の日本は世の中に多くの食べ物が溢れていて、食べるということに困ることはほとんどありません。しかし、この飽食の時代である今、日々私達が口にする食材は果たして本当に安心・安全なものなのでしょうか。

無農薬でもすくすく育っているネギ

例えば、作物を栽培するのに必要な農薬については、しっかりとした管理のもと使用されている生産者がほとんどだとは思いますが、その取り扱い方法を間違えれば人体に悪影響のある毒へと変わってしまいます。また、時間を掛けて海外から輸入されてくる外国産の青果食材が、腐らず国内産の物と同じようにスーパーに並んでいられるのは、流通させるにあたって収穫後に作物に農薬が散布されているからです。

私たちの普段の食生活が農薬や外国産の輸入食材によって維持されていることは頭では理解していましたが、心のどこかでは安全性への疑問を抱かずにはいられなかったのです。特に、これからの未来をつくっていく子供たちや若い世代には本当に美味しく、安全なもの食べて、こころとからだを育んでいってもらいたいと願っています。そのために私にできることは何なのか。

さらに、私は自然環境にも関心が湧いてきました。

私たち人類は自分たちの便利さや豊かさのために多くのものを犠牲にしているように思います。緑豊かな山々を切り開き、限りある地球の資源を無尽蔵に使い尽くす。その結果、夏の猛暑や異常気象などの地球温暖化を招き、自分たちの首を自ら絞めているという哀れな現状です。本当にこれでよいのでしょうか。

豊かな自然が溢れる蔵王連峰

これまでの人間本位の行動の代償が地球温暖化だけではなく、新型コロナウイルスの大流行にも繋がっていると言われれば、妙に納得してしまう自分がいました。

だから私は、自分たち自身の暮らしだけはでなく、50年後100年後の世代がよりよく幸せに暮らせる未来についても考えてゆきたいと思うようになったのです。そのために私は何ができるのか、どう向き合えるのか。

その解決策は祖父母の生き方にありました。

『野菜や果物を化学肥料や農薬をなるべく使用せず自ら生産し、消費する。そして、食べてくれる人のために流通させる。』

シンプルですがこの農家としての祖父母の生き方は、昨今の食糧問題やそれを取り巻く問題を捉え解決するための大きなヒントになるのではないかと、私には思えたのです。

就農予定地にて何を思う

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?