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【ショートショート】結婚って

「結婚っていいもんだぞ。」
同僚の田中が毎日のように言う。彼は先月結婚したばかりだ。
「一緒にご飯作って、一緒にご飯食べて、いつも一緒にいて、なんて幸せなんだろうって、僕はこんなに幸せでいいんだろうかって思ってんだよ。」
「はいはい、幸せでなによりです。」
俺は毎回そう返す。俺はまだ独り身だが、それが気楽で結婚なんて当分考える気もない。

時が過ぎ、適当にあしらっているうちに田中のノロケ話は少なくなっていった。その間には
「子どもっていいもんだぞ。」
「俺のこと大好きって言ってくれるちっちゃいのはとてつもなく可愛いよ。」
の時期もあった。
しかしそれも長くは続かなかった。
「娘が口をきいてくれない。」
「妻がいつも怒ってて怖い。」
とぼやくことが増えていった。
そして俺は独りでよかったとしみじみ思った。

ある日、仕事帰りにいつも寄るコンビニで弁当を買って帰る途中に突然のゲリラ豪雨にあってしまった。傘は持っていない。困って近くの本屋に駆け込む。
「ちょっと雨宿りかぁ、弁当冷めちゃうなぁ」
そう呟きながら本屋で時間を潰す。
「あのー」
声をかけられて振り向く。どこかで見たことのある人だがすぐには思い出せない。誰だっけ?あっ、いつものコンビニの人だ。制服じゃないから分からなかった。
「雨、やんだみたいですよ。」
「えっ、僕が雨宿りしてたってどうして?」
「だって、お弁当温めたじゃないですか。それなのにここにいるのは雨宿りかなって。私、ちょうど上がる時間で帰りにここに寄ったら見かけたもので。お節介ですみません。」
手にクロスワードの雑誌を持っている。コンビニでも買えるのにと考えていたら
「あっ、これ?何でコンビニで買わないかって思いました?私、この出版社のが好きで、これはコンビニには入って来ないんですよ。」
「そんなにいろいろ種類があるんですか?」
「興味の無い方はご存知ないかも知れませんね。」

彼女は映美といった。独身で年も3つしか違わなかった。
毎日会社帰りに寄るコンビニの店員の映美との距離が縮まるのにそれほど時間はかからなかった。お互い仕事が休みの日には一緒に出掛けたり食事をしたりした。
そのうち俺は結婚を意識するようになった。映美も当然そうなんだろうと思っていたので、俺はある日、意を決してプロポーズをした。映美は驚いていたが
「私、カタチに囚われたくないの。一緒に住むのはいいけど籍とかは入れなくていい。」
と言った。今の時代そういうのも有りかと俺はその申し出を受け入れた。籍は入れてなくても世間でいう夫婦と同じではある。
こうして二人での暮らしが始まった。

田中が言っていた「結婚っていいもんだ」の意味がわかった。同じ空間を共有して日常を過ごす。そこには安心感がある。とても幸せだった。時に会社で田中に「結婚っていいもんだな。お前が言ってた通りだよ。」と言いたくなるが黙っていることにした。
休日、自宅で映美はいつも時間があればクロスワードを解いていた。その傍らで俺はテレビゲームをする。そんな日常が当たり前になり、お互いが空気のような存在になっていった。

ところがある日、俺は映美を怒らせてしまった。というか怒らせてしまったらしい。原因は些細なことで、俺がゲームをしている時に話しかけられたので適当な相槌をしてしまったことだった。そういうことはそれまでにもあった。そして簡単にスルーされていた。しかし今回、映美は怒った。そして俺に背を向けてソファーに横になっていた。俺は気まずくなって、ゲームを中断して寝室にこもった。そのうち映美が何事もなかったかのようにやってくることを期待しながら。

いつの間にか俺は眠っていたらしい。寝室に映美はいない。映美もあのままソファーで寝てしまったのだろうか。そろそろ怒りも鎮まっているだろうと寝室から出ると映美はいなかった。今日は仕事は休みのはずだ。名前を呼びながら家の中を探す。映美はいない。というか何か違和感を感じた。部屋に映美の物が何もなかった。それだけではなく二人で暮らしていた痕跡が何もなかった。

何が何だか分からなくなった俺は映美の勤務先のコンビニへ向かった。顔馴染みの店長に映美のことを聞くと不思議そうな顔をされて
「そんな店員は私の知っている限りでは居ませんが、その方がどうかしましたか?」
と言われた。

俺は混乱したまま自宅へ戻って映美の痕跡を探した。クローゼット、靴箱、茶碗、箸、歯ブラシ等何もなかった。一緒に撮った写真も一枚も残っていない。

「何故だ。」

俺は映美と過ごした日々を振り返ってみた。幸せだった。このままかつての田中のような道筋を辿っていくのだろうと漠然と受け入れていた気がする。

ふと本棚の片隅に見た事のある雑誌を見つけた。映美がいつも解いていたクロスワードの雑誌だった。
「あった!」
ようやく映美の痕跡を見つけたのだ。喜び勇んでその雑誌を開いた俺は愕然とした。

クロスワードに書き込んである文字は俺自身の筆跡だった。

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