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あつよしの夏 四万十川

高校生のときタイトルに惹かれて手にとった「四万十川 あつよしの夏」

物心がついた頃からなぜか川遊びに夢中だった。大きなザルのような網で魚を取ることが好きでたまらない少年だった。瀬戸内海の島の小さな小川には毎年、一匹の鮎が遡上してくる。その鮎をひと夏かけて捕まえるのだ。ウナギはミミズをつけた針を細い竹の先端にひっかけて石垣の隙間に差し込む釣りだ。ヨシノボリはいつだって満足するだけ捕まえては逃した。

膝くらいまでしか水量のない小川が、台風のときだけは氾濫せんばかりの濁流となった。なんでもすごい勢いで流されていく。それがまた楽しくていろんなものを流した。

山に入るとすぐに源流に行きついた。飲むと暑いせいか、とにかくうまい。風化した花崗岩の砂は素足に心地よいので好きだ。

「最後の清流」四万十川はあつよしの夏そのままの風景で、少年時代が鮮やかによみがえる。この川だったら何匹鮎を捕まえただろうか。網じゃダメそうだから突くか釣るか。アカメ、あのサイズの魚が生息できる生態系が維持されている河川は魅力しかない。

なんで川遊びが好きだったのか、今も川を見るのも、入るのも、魚を釣るのも好きだけど。たぶん、考えて、試して、工夫して、試して、考えて捕まえるプロセスが好きなんだと思う。いつか捕まえる時が来る!いつかがあることを信じて疑わなかった。

自分かここまで熱中してたことはたぶん知られてなかったと思う。幸いだった。だって、知られたら無理だとか、捕まえてどうするん?とか、そんな暇があったらとか言われかねんしね。家以外が居場所でよかったかな。

自分だけの秘密の場所や時間、空想、妄想、現実離れは必要だったよね。他人に土足で入られたくないから。子どもたちってそんな場所や時間ってちゃんと持ってるのかな。持っていて欲しいな〜

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