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夏 第418回 『魅惑の魂』第2巻第3部第98回

 だが彼には解らなかった。自分の欲情の奴隷になることを、彼女の本能が反抗しているのを理解できない彼には、それは女の手練手管としか見えないのだ。彼が思ったことを言うことはなったが、彼はその感情を面にしていた。アネットにはそれが読み取れたから、そこを立ち去ろうと身構えた。焦ったフィリップは、通行人の眼に入らないように苦心しながら、アネットの腕を掴み握りしめた。そして激高したものを押し殺すために言葉を和らげた声で言った。
「それは嫌です、ぼくは諦めたくない、これからも君に会い続けていたい… 君はもう話さないでほしい! 返事なんかいらない! ここでは話ができない… 今晩、あなたの家に行くことにします」
 彼女が応えた。
「いいえ! それは駄目です!」
 だが彼は繰り返した。
「必ず行きます。あなたなしではぼくはやっていけない。あなただってぼくなしでは…」
 彼女は反抗していた。
「わたしは、一人でもいられます」
「あなたは嘘をついている」
 二人は身振りも手振りもしなかった、低いが激しい声で、互いの魂を込めて戦っていた。二人は視線で互いを窺っていた。フィリップの視線が先に屈してしまった。彼は願っていた。
「アネット!…」
 しかし彼女の頬に観えるのは火傷のようにも観える残忍な否認だった。フィリップにすべてを言わなかったと思う気恥ずかしさが残っていた。彼女は身を硬くすると、握っていた彼の手を振りほどき、そこを立ち去った。

つづく

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