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不器用な先生 650

前回

 執務室に戻ってきたのは、午後の一時半に近かった。ふだんの木曜ならこれで帰宅するのだが、三時から予定が入っていた。入試問題の印刷見本の確認が三時から始まることになっていた。
 それまでの一時間以上を、どうするかと思った瞬間に、尾末典子のが提案した試験問題が泛んできた。それはリンカーンの『ゲティスバーグ演説』を基にしたものだった。だが『ゲティスバーグ演説』そのものを最近はほとんど読んでいないことも思いだした。
 今では検索すれば日本語訳されたものを各所で観ることも可能だが。リンカーン自身の言葉に触れてみたくなっていた。
 そして探し出したページを、ぼくの言葉にしながら読んでいた。

 四世代と七年の昔、私たちの祖先は、自由の精神のもとで育ち、すべての人間は平等に創られている心情に捧げられた新しい国家をこの大陸に生み出した。
 今、私たちのこの地は内戦に巻き込まれている。それはその心情を育み、自由に捧げられたこの国家が、あるいはこうしたあらゆる国家が、これからも存続することが可能かどうかを試されていると言っていい。私たちは今、その激戦の地で出会っている。 私たちは、国家の存続のためにここで命を捧げた人々の最後の安息の地として、その戦場の一部を捧げるためにやってきた。それを私たちが為すのは、真に適切であり望むべきことだ。
 しかしより広い意味で考えれば、私たちはこの地を捧げることはできない。そして神聖化することもできない。ここに追加したり差し引いたりはできないことなのだ。 ここで戦った勇敢な人々が、生者も死者も含めて、私たちの貧弱な力をはるかに超えて、すでにこの地を聖地と捧げている。
 世界の多くは、私たちがここで言っていることに注目せず、長く記憶することもないだろう。しかし私たちはここで成された事実を決して忘れることはできない。むしろ、私たち生者は、ここで戦った彼らがこれまで勇敢に進めてきた未完の任務に身を捧げなければならない。
 私たちがここで、私たちの前に残された大きな任務に専念すること、つまり、これらの名誉ある死者たちから、彼らが最後の全面的な献身を捧げたその大義に対して、私たちがさらに献身的に取り組まなければならない。そして、私たちはこれらの死者の死を決して無駄にしないためにも、神の下でこの国に自由の新たな誕生を迎えさせるために強く決意する必要がある。
 人民の、人民による、人民のための政治を地上から絶滅させないために。

荒川信介の意訳による『ゲティスバーグ演説』

 ジョン・ロールズが書いていた。政治家といえるのはワシントンとリンカーンだ… たしかにその通りだと思いながらも、二十一世紀の日本に政治家が存在していないという事実に、悪寒すら感じるのだった。

※『ゲティスバーグ演説』は下記を参照した。
https://www.abrahamlincolnonline.org/lincoln/speeches/gettysburg.htm

つづく

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