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母と息子 第11回『魅惑の魂』第3巻第1部 第11回

 二階には、数年前に男やもめになった法学教授のジレール氏が息子と暮らしている。彼も南フランスの出身だったが、ベルナルディンとは同じ場所ではなかった。セヴェンヌ出身の新教徒で、自分は自由思想家であると信じていた。(これは大学の角帽を被った連中に共通する幻想すぎないのだが)。これはベルナルディン家の若い連中が笑いものにして言うと思われる(ほんとうに言っていた)が、その心の底は無信心だった。しかし彼はある意味では優れていた。職務には厳しく臨み、道徳的な偏見に満ちている(それは容赦がなく、最悪なものにもなる)。彼は上の階の隣人たちに対しても敬意を表し堅苦しいところが少しあったが礼儀正しく接していた。返す言葉も先方に合わせる気づかいを見せていた。公平であろうと望んではいたがカトリックには、欠陥ばかりが観えるのだった。形式の形骸が悪徳のように観えて、カトリックであることはどんなに正直な人であっても、その厭な面の痕跡に気づかされる。これがラテン諸国の衰退の原因となったと彼は何の躊躇することなく思っている。しかし彼自身は史実な歴史家であろうとして、ひとには冷淡で退屈と観られても、熱情で物ごとを語ることは常に避けていた。講義の際もまったく同様で、文献の引用とその考証だけを延々と、単調な鼻声で語り続けるだけなのだ。だがその歴史観は偏った情報で得た先入観に満ちていたが、彼はそれすら気づかないでいる。それが原因なのだろう、様々な思想に親しんでその取捨選択の結果としての客観的な自己を確立することを、彼には妨げられている。かなりの多くの本を読み、人生での多くのことを見てきたこの男は、白髪の下に感動的で滑稽な、しかも恐ろしい無邪気さを持っていた。なぜならそれがあらゆる狂信の裏付けとなるものだからと言っていいだろう。道徳心はとても高かった。だが心理的な感覚は萎縮していた。彼には自分と異なる人は、まったく理解できなかった。

つづく

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