【コラム】勘違いが生んだモチベーション

大学を無事に卒業した私は早稲田大学の大学院へ進学することが決まっていた。しかし、授業開始まで2か月時間があり、暇を持て余していた私は、この期間を利用して「箱根駅伝」という目標があるわけでもないのにも関わらず、せっせとジョギングに勤しんでいた。しばらく経つとジョギングにも飽き、いよいよ本当にやることがなかったので、ついに久しぶりにインターバル練習を再開した。
と言っても競技場まで足を運ぶのは面倒だったので近所の大学敷地内のコースで行うことにした。そこはちょうど1周1km(当時はGPSウォッチがなかったので距離を知る術がなかった)だと聞いていたので周回を利用し、1km5本や2km2本などを週に2回ほど「趣味」として行っていた。
大学の部活を引退してからはほとんどインターバルなど行っていなかったので、全力で走ってもどうしても1km3分15秒程度でしか走れない。「走らないと能力はすぐに落ちるんだなぁ」とか思いながら、ひたすら1kmや2kmのインターバルをせっせと繰り返していた。
数回繰り返している内に次第に速く走れるようになり、最終的に3分一桁~2分台で走れるようになっていた。この頃になると「せっかく練習しているから記録会にでも出てみよう」ということになり、5月1日の日体大記録会へ申し込んだ。1kmの練習タイムからして15分フラットあたりが妥当だと思ったので15分ちょうどを目標タイムで申し込んだ。

迎えた記録会当日、サングラスをしてレースに出場した(なお、早稲田大学ではレース中にサングラスを着用することは認められていなかった)。これがサングラスを着用しトラックレースに出場した初めての日である。レースは最初の1kmを3分ちょうどで通過した。15分切りを狙うにはベストなペース。しかし、この時私はペースが異常に遅く感じていた。「いつもの練習では3分はかなりきついのに・・・。今日はかなり調子が良いぞ。」と思いながら走っていた。

みなぎるエネルギー、そして余裕度。気が付くと一人で集団を抜け出して残り3kmを独走し、そのままゴールまで押し切った。

結果、記録はなんと自分でも驚きの14分42秒58(1着)であった。後半の3kmを8分39秒(2分52秒、2分54秒、2分52秒)で走り切っていた。ろくな練習をしていないにも関わらず、大学時代の自己記録14分34秒に迫る記録であった。

特に目標もなくレースに出場した私はこの記録会を通じて、「自己記録を更新するまでは走り続けよう」と決意新たに練習を継続することにした。絶対に大学時代の自己記録を塗り替える!というモチベーションが生まれた。この日の走りが、最終的に今も競技を続けるエネルギーとなることをこの時はまだ知る由もなかった。

ちなみに余談だが、当時1kmちょうどだと思い込んでいたコースは実際には1.05kmであったことが判明。1.05kmを2分59秒だと1km換算は2分50秒。当時は自分の体力が低下したからきついと思っていたけど、実際に速いペースで走っていたからきつかったというオチ。

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※写真は2013年のものです

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