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「好き」って言っちゃいかんのか?~オタク化を求められる傾向について

突然ですが、

心の余裕はお金の余裕ですね。


てことで、現在休職中の私。推し活しようにも金がない。グッズが買えない。ライブも行けない。あれもこれもお金がかかりそうなものは全て躊躇ってしまう、というわけで、一旦、推し活を休むことにした。

いや別に、好きなタイミングで配信観て、応援すりゃいいじゃん、て思うのだが、周りのファン見るとなんかなあ…気が引けちゃって。引く必要なんて全くないけど、引いちゃうのよね何故か。
「応援しなきゃ」と義務感を抱いてしまっては、これから先、純粋に楽しめそうにないな、と思って、一旦、距離を置くことにした。
ハマりたての頃に買い漁ったグッズを売却した。プレミア価格のものもあったけど仕方ない。

うつやってると「いつ飽きるか分からない」恐怖があるし、まずは自分の事をしっかり見直さないとなあ。就職もしたいしなあ。

私の場合、うつだし事情が事情なので、ある程度覚悟はできたが、今の世の中、好きなものを「好き」っていうのが難しい時代になったね。


例えば「好きな音楽は何ですか?」て聞くの止めて貰っていいですか問題。
初対面の人が、相手の事を知る為にとりあえず切るコミュニケーションカードだが、最近の若い子はこれが苦手らしい、というのをネットで見た。
「初対面の相手に自分のプライベートの開示をするのはリスクがある」
という、危機感から来る理由もあるが、
「好きな音楽を言って、相手が知らなかったらどうしよう、どう会話続けるんだ」
「え、あれ聴いてんの?ダサくね?て思われたらどうしよう」

という理由が多いらしい。
後半の理由はめっちゃ共感できるな。私の場合、好きな音楽の話で、趣味が一致したことってないのよ。大学時代の親友ぐらい。

例え好きなバンド、好きな音楽のジャンルが違えど「音楽って素晴らしいよね!」という熱意があれば、会話ができるってのも経験はしたが、
「ライブは必ず参戦」「夏の風物詩はフジロックでしょ」
みたいな、そこまでの熱意持ってる人って、そう簡単に出会わない。

こういう人の共通点に、自分の好きなジャンルを深堀りするのに必死な為、流行りの曲やアーティストを全く知らない、というのがある。うつ前の私もこれに当てはまるのだが、日常におけるコミュニケーションカードとして切るには、趣味や熱意が煮詰まり過ぎて、おいそれと出せない、というデバフがある。
なんとなく、それなんですか?て聞かれるな、て空気を感じたらなおさら。流石に聞いてる人置いてきぼりで、自分の音楽の趣味たらたら語りたくないし、興味のない人に、こういうバンドでね、と説明して布教するのも正直面倒くさい。

音楽好きが、意外とよそで音楽について語れないのってこういうのがある。確かに初対面では切らないな。まず、その人そのものに興味があって、どこまで趣味を開示できるか、またはして貰えるか人となりを見て探りを入れ、どこかで「○○聴いてる」などの音楽の話がその人の口から聞けたあたりから、「コミュニケーションカード:音楽」を切る、て感じかな。

そして相手から好きなバンドを聴きだしたら、たとえ知らなくても、「名前だけは知ってる」とか「そのジャンル気にはなってたんだよね」と好意的に受け入れるのがマナーというもの。検索してそのバンドの音楽を聴き、へえこんなのあったんだ!と“新しい出会いが出来たなあ”という喜びも添えて、感想を伝えるのも礼儀である。間違ってもその場で
「へえ、あんまり好きじゃないかも」
なんて言ってはいけない。人間、正直も出しどころによる。思ったことをはっきり言っても許されるキャラだったり、お互いを知り尽くした長い付き合いの間柄ならそれもありだが、そうじゃなければ言わない方がいい。間違いなく、相手は自分に心を閉ざすし、もうその人とは音楽の話は出来ないと思った方がいい。

こういった、「相手の趣味が分からないから自分の趣味が言えない」ていうジレンマは昔からあっただろうが、今は加えて、
「これくらいの知識と熱量で“好き”と語っていいのか」
というジレンマが普及している。マニアなジャンルじゃなく、ごく普通のアニメ好き、漫画好きの人がこのジレンマに悩まされてるようだ。

昔は、「オタク」といえば、子供っぽいなど、そんなことしてないで真面目に生活しろなど邪険に扱われてたのだが、今はすっかり市民権を得て、オタクが生きやすい時代になった。そして徐々に認識が

「好き=オタク」


というものに変わってしまったようだ。

確かに一部の害悪オタクが、自身の知識を武器に「その程度で愛を語るなにわかめ!」と言及するかもしれないが、大体のオタクは、自分がいかに好きかが重要で、他人の熱量なんてそこまで気にしてない。趣味が合えば、君もそうか、と共感するし、そうでなければスルーする。大体がこういう大人の対応をするものだと思うのだが、こういう人はわざわざ声を上げない。お前は黙っとけ、な害悪なタイプ程声を大にして言いまわし、相手を攻撃するのだ。SNSの弊害よなあ。

ある女性アイドルがSNSで「○○が好きです」ていうのをためらう、というのもそれが理由なんだろうな。世の中、SNSで攻撃するのが趣味と化してる根性曲がってるやつが少なからずいるし、有名人は標的になりやすい。
こうなるとSNSって自由だかなんだか分からねえな。

確かに「○○が好き~、理由?なんとなく~」とか「今流行ってるから~」だとオタク側から踏み込みにくいのはあるよなあ。その好きの成り方は否定はしないが、会話は合わんかもなあ…と距離を取る。オタクでもライトでもミーハーでも構わないが、熱量は多少合うに越したことは無い。

何を、どんな風に好きになるかなんて個人の自由なのだから、自分のSNSで自由に壁打ちで語るのも自由なはずなのだが、どうしても他人の趣味をこき下ろす輩や、知識量でマウントを取りたがる輩がいるもんだがら、有名人は本当に大変だなあと思う。有名人じゃなくても揉めたりするもんな。

自分の趣味を開示するのはリスクを伴う、という発想は、子供の頃からSNSと慣れ親しんだ若い子特有の感覚かもしれない。
確かに、働きに来てる職場で、趣味の話で攻撃されるかもしれない、と気に病むのは馬鹿馬鹿しいわな。今後「趣味は何ですか?」「好きな音楽は?」がコミュニケーションデッキに入らなくなっていくのだろう。なんなら若者側から「天気の話してくれ」なんて言われてなんか…悲しいな…

私は昔気質のややアングラ志向なサブカルクソ女なので、流行りの曲とか「流行り」というのを馬鹿にしてた節があったが、
「流行りのもの」ってコミュニケーションデッキの一つとしては有効なカードなのだな、と気が付いた。
情報が溢れかえっている今、知らないからって馬鹿にするような人はいないだろうし。


私は、知識が足りなかろうが、好きという熱意があって、それを心から楽しめるのなら「好き」と言ってもいいじゃないか、と思っている。いわゆるエンジョイ勢。自分のスタイルに則って好きになったものには楽しむスタイル。私はこのスタイルを「フリーク」と呼んでいたのだが、

「オタク」と「マニア」と「フリーク」の違いとは?分かりやすく解釈

というサイトを見つけて、あれ?そうなの?となってしまった。
RIP SLYMEのPESがラップで「フリーキーな」と歌っていて、このフレーズ良いじゃん!と取り入れてたのだが、そうなのか。

若い頃にバイト終わりにクラブに行き、酒飲んで狂ったように踊り倒して、帰りの電車で気分悪くなって途中下車して駅のホームで横たわっていた私は
確かに「フリーク」(あるものごとに熱狂している変わった人のこと。「熱狂的ファン」「心酔者」「奇人」「変人」)だったかもしれない。

うつを患っている今、何かに熱狂的になるのが難しくなってしまったが、たとえライトでも、ミーハーでもオタクでもマニアでもフリークでもいい、

好きなものは好きぐらい自由に言わせろ


とは思う。他人の趣味にケチ付けるほど野暮なことはないってもんよ。







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