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大学改革は、入学試験内容や卒業までのあり方といった抜本的な制度の見直しからのはず




9月入学の議論よりも大切なこと

コロナウイルスの騒動により、大学の9月入学の議論が盛んになりました。

それぞれメリットとデメリットはありますが、議論するべき事は入学の時期ではなく、まずは入学試験のあり方だと思います。

ウイルス騒動で大きな被害を受けているのは、親が解雇されたりなどで家計が苦しい家庭だと思いますが、そういった家庭の子供は、塾に通うことや大学への進学を諦めなければならなくなったかもしれません。

大学で学びたい生徒が、自らの目標に挑戦できるようにするためには、塾で受験テクニックを学んだ者が有利になる今の入学試験内容などを変えるのが先決で、入学時期の議論などではないと思います。

変えるべきは入学試験内容や卒業までの制度のあり方

大学への入学を簡単にし、努力して学んだものだけが卒業できるようにしたり、大学でのゼミや論文などの実績に応じた奨学金の制度を設けるといった制度改革が必要なはずです。

日本の大学は入るのが難しく出るのが簡単であり、入学後は勉強する必要もなく授業にもあまり出席しないなどと何度も言われてきました。

受験時代の努力にしても、パターンやテクニックの暗記をひたすら行っているのが実情だと思われ、答えのない時代に生きているなどと言われながら、いまだに抜本的な改革がなされていないようです。

私自身も、大学時代もっと勉強しておくべきだったと思いますし、学生時代のバイトや遊びが人生の糧となっていることは事実ですが、変えるべきは入学試験や卒業までの制度のあり方のはずです。

本当に学びたい者が学べ、また大学名や学部の偏差値によってではなく、学んだ内容によって人物が判断される社会に変えていくべきだと思います。

自国を知らなければ自国を相対化できない

そもそもの9月入学にしても、これを主張する識者などは、桜の開花時期に卒業入学する日本の文化を理解していない、単なる外国かぶれではないでしょうか。

海外の企業は、一括採用ではなく通年採用が一般的なのだから、日本の大学の卒業時期が3月でも、日本の大学生が海外企業に就職する際の不利はそこまで生じないと思われます。

海外の学生が日本企業に就職を希望する際、今の日本では中途採用での就職が一般的になったので、そこまで問題はないと思われます。

よってアメリカなどと同じように、5月から6月卒業、9月入学にする意味はあまりないと思われます。

日本の高校生が海外の大学に入学する際、3月に卒業してから9月までの間、空白期間ができてしまいますが、まさにこれをギャップイヤーとして有効活用すればいいと思います。

世界に出ていく前に、日本を知るために国内各地を旅行するとか、入学先と違う海外に旅行するとか、18歳や19歳という多感な時期に与えられる自由な一定期間は、本人がより成長する機会になるかもしれません。

個人のオリジナルな視点や観点は、当然ですが文化によっても育まれます。

卒業式で涙を流すのは日本の文化であり、これは日本人が育んできた情緒です。

散る桜の花びらに、はかなさや無常を感じるのも、日本人が育んできた情緒です。

一所懸命、団体主義、もののあわれ、こういったものの良い面も悪い面も含めて日本の文化であり、他国とは国の成り立ちやカルチャーが違います。

こういったオリジナリティを無視というか、知らずというか、単なるカブレというか、コンプレックスというか、そのようなインテリが、明治以降の日本を率いてきたのも事実だと思われます。

以前読んだとある本には、9月入校について、どちらかといえば賛同できないのが京都大学と早稲田大学と記されていましたが、まさに自由な校風であるこの二校が反対しているのは、オリジナルやグローバルが何たるかを理解している証だろうと個人的には思いました。

自国という物差しを知らなければ、他国の良し悪しも深く検討することはできません。

そしてグローバルな人材とは、自国の文化を知り、自国に誇りを持ち、自国の責任を背負い、そのうえで他国の文化を敬うことのできる人間だと思います。

いま多様性が叫ばれており、企業でも社員が画一的にならないようにとか、一定数の尖った人材を求めているなどと言われていますが、同じような人間ばかりになってしまったら、良い意味での変化は生じなくなるでしょう。

海外の一定のエリートは軍の士官学校へ進学する

また日本の進学高校に関しですが、どんな国でも、文武両道に優れた一定のエリートは士官学校に進学しますし、戦前の日本もそうでした。

そして、米陸軍士官学校のウエストポイントや米海軍兵学校のアナポリスはアメリカでもエリート校に数えられますが、開成や麻布などから防衛大学に進学した生徒はどれぐらいいるでしょうか?

日本では、自衛官とならない任官拒否が特に白い目で見られ、将来の進路について幅を狭めてしまう点や、入隊してからも民間と行き来がないなどの問題はありますが、偏差値の高い大学だけにとりあえず入学するのが目的、勉強ができるから医学部を目指すといった状況は変えるべきだと思います。

大学そのもの自体が今よりも意味のあるものとなるような改革

また、御三家といった特に偏差値の高い高校からから偏差値の低い大学に行った生徒が極端な落ちこぼれ扱いをされ、自らを卑下してしまうような社会はどう考えても変えるべきです。

現代は、昔と比べると学歴の価値が低下し、また学歴と地頭の良さは関係ないなどと言われ始めているように、学歴や学校の偏差値に対する見方も変わりつつあると思いますが、保守的な日本社会では、長らく続いてきた学歴至上主義はなかなか変わらないと思いますし、偏差値によって第一印象のイメージが形作られてしまうのも、なかなか変わらないかもしれません。

今回のおかしなウイルス騒動で、大学の9月入学の議論が沸き起こりましたが、入学時期といったことよりも、本当に学びたい者が学べる社会にするためにはどうしたらいいのかや、入学試験内容はこのままでいいのかや、効果的な学習にするために講義・ゼミ・論文といったものをどのように組んでいくべきなのかや、グローバル人材の育成とはどういったものなのかや、偏差値で人を判断してしまう社会とどう向き合うかなどを議論していくべきだと思われ、まずは入学を簡単にして卒業を難しくするなど、抜本的に制度を変えていくべきだと思います。

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